外国人選手からさまざまな刺激を受けた
――日本のマスコミだけではなく、海外メディアも、元オールブラックスを起用した日本代表を当時の愛称「チェリーブロッサムズ」をもじって「チェリーブラックス」と揶揄しました。チームの一員として平尾さんは外国人選手の存在をどのように受け止めていましたか?
ぼくはW杯の前年に代表に呼ばれました。まさか自分でも選ばれるとは思っていなくて初めての練習では「すげー! あのバショップがいる」と驚いたほどでした。ですが、日本代表は、日本でプレーする選手のなかから、最も実力がある30人が選ばれるわけです。外国人選手だから、日本人選手だから、という意識はまったくなかった。
日本代表の先輩たちも外国人選手とチームメイトとして自然に付き合っていた。オフも外国人同士だけでつるむわけではなく、日本人選手と外国人選手が一緒にご飯を食べに行っていました。同じナンバーエイトだったジェイミーと(伊藤)剛臣さんがよく一緒にいたのを覚えています。
ぼくはパット(フィジー出身のパティリアイ・ツイドラキ)と同部屋でした。彼は引退して帰国したら、中古車の輸入会社を設立しようと考えていた。練習が終わって部屋に戻るとすぐに経理や経営の勉強を始めるんです。ラグビーに打ち込んできたぼくにとって、パットの生き方、考え方がとても刺激になりました。
「殺される」と感じるほど真剣に練習に打ち込んだジェイミー
もちろんグラウンドでも外国人選手にはたくさんの刺激を受けた。
忘れられないのは、W杯初戦のサモアとの試合前に行われた練習中のジェイミーの姿勢です。いつもお茶目でいたずら好きのジェイミーの雰囲気ががらりと変わった。フルコンタクトの練習だったのですが、あまりの激しさにぶつかられた瞬間に、殺されると感じたほどです。そのときのジェイミーの真剣な目はいまもはっきりと覚えています。
世界のトッププレーヤーだったジェイミーやバショップが勝負に賭ける思い……。2人の気迫がチームに伝播していくのを実感しました。ふたりに感化された元木(由記雄)さんや薫田(真広)さんたちは、頭のネジが飛んでしまったような激しさで、練習に臨んでいました。世界のレベルを知る外国人選手たちがチームの雰囲気を変えました。彼らと同じチームでプレーできることを、誇りに思いましたね。