「ズルい」と感じていたのは外野だけ
――そう考えると平尾さんが出場した99年のW杯で、オールブラックスだったジェイミーやバショップを起用した日本代表に、外野が「ズルい」と感じたのかもしれませんね。
そうした外国人選手への眼差しが変わったのは、2015年W杯の五郎丸(歩)選手のツイートでしょうね。南アフリカからの歴史的な勝利のあと、五郎丸選手がこんな投稿をしました。
そのあたりから潮目が変わった。その後、19年のW杯日本大会で日本代表の躍進に日本中が熱狂しました。たくさんの人たちが、ラグビーが内包する多様性という魅力を知るきっかけになったと感じるのです。
バラバラのまま認め合うほうが面白い
――ただ19年W杯でも、当初は以前と同じように外国人が多すぎて応援する気にならないという声もありました。でも日本代表が勝ちはじめるとがらりと変わって賞賛の声があふれた。気になったのは、海外出身選手に対して「日本人よりも日本人らしい。大和魂を持った本当の日本人だ」と日本人と同化させるような言説を耳にしたことです。
わかる気がします。たぶん日本人らしいという型にはめたほうが楽だからでしょうね。オリンピックなどは国籍主義だから、日本人として日本人を応援する。そのほうが理解しやすいのでしょう。
ぼくとしては、ルーツも言語も文化も考え方も違うバラバラのまま互いに認め合うほうが面白いと思うんですけどね。ラグビーは国籍主義ではなく、協会主義(選手が所属するラグビー協会)です。そこが、ラグビーの魅力のひとつであり、ほかのスポーツとの違いです。
トンガには日本代表に憧れる若者が大勢いるそうです。ラグビーがもっと普及すれば、アフリカなどの貧困にあえぐ国の子どもがラグビーに取り組んで、日本代表に憧れるかもしれない。ラグビーが彼らの夢になり得る可能性がある。その意味でも協会主義というあり方は大切にしていく必要があると思うのです。