「お客さまは神様」になった理由
冒頭に、お店がなすべきことはお客さんの不安を取り除くことだ、と書きましたが、実際はそれを通り越して、一片の不快感も与えてはならないという使命すら課せられていることは少なくありません。
あえて刺激的な言い回しを用いますが、そういうふうにある種のお客さんをつけあがらせてしまったのは、日本の飲食業界の激しい過当競争ゆえなのかもしれません。それは生き残るための術なのです。
接客というのは、突き詰めて言えば技術です。そしてその技術の精度は、もちろん個人の技量に負う部分が大きいのは確かですが、日本ではそれが高度に、そして徹底的にマニュアル化されてもいます。
こういったマニュアル化は、まさにチェーン店の得意とするところであり、今やそれが日本中で最低限の基準となっているわけです。そしてそれは野に下り、多くの個人店のお手本にもなっているという構図。
居酒屋さんなどで、何か注文すると「はいよろこんで!」と返されることがあります。いかにもマニュアル的な「接客用語」であり、どこか滑稽でもありますが、これもまた優れた技術。「こんな忙しそうな中、追加注文をする自分は迷惑がられるのではないだろうか?」という、ありもしない(とも言い切れない面もありますが)「心配」を、少しでも払拭して売上に繋げようという、優しさとビジネス魂が詰まった物言いです。
「孤独のグルメ」のアンリアル
『孤独のグルメ』は、実在する飲食店におけるとてもリアルな情景が描かれるのが大きな魅力ですが、そこには一点だけ、アンリアルに感じられる点があります。
お店の方々が、妙に愛想が良すぎる。モブの常連客たちも然り。地域に根ざした個人店は、実際はもっと淡々としていることがほとんどだと思います。あんなに常に満面の笑みをたたえ、覗き込まんばかりに目と目を合わせ、フレンドリーかつざっくばらんに、そしてやたら饒舌に接客するなんて、現実にはそうそうありません。
もちろんそういうシナリオや演出無しにはドラマがドラマとして成立しないのかもしれませんが、同時にそこでは、人々が心中憧れるファンタジックな世界が描かれているのではないでしょうか。
実際の街場の個人店、特に老舗は、もっと淡々としているものです。どうかするとツンツンしているように感じられることも少なくありません。そういう店の多くは、高度な技術が集約された今日的なマニュアル接客とは無縁な時代に始まり、そのまま歴史を紡いで来たからです。