相手も「絶対、私が正しい」と思っている

あなたが「絶対、私が正しい」と思っているように、相手もそう思っている。たとえば不安を感じたときに、「周囲が見渡せる、広い場所にいるほうが安心」と感じる脳と、「狭い場所に身を潜めたほうが安心」と感じる脳の持ち主は、いくら話し合ったって結輪は出ません。どちらにも一理あり、どちらも、相手が安心な場所が不安でしょうがないんだから。

たとえば、机に座って、ノートに文字を書くとき、ノートを斜めにしたほうが書きやすい人と、まっすぐにしたほうが書きやすい人がいます。実はこれは、生まれつきの骨の動かし方の違いからくる癖で、人類はほぼ半々なのです。私は、大きく斜めにして書くタイプで、まっすぐ派の夫にしてみたらだらしなく見えるらしいのですが、ノートをまっすぐにすると、文字がまっすぐに書けません。こういう、本能的な感覚は、どっちが正しいとはけっして言えない、個人的な問題なのです。

しかも、夫婦は、こういう本能的な感覚が真逆の相手に惚れているので、ありとあらゆることに折り合いがつかないのです。食べやすいスプーンのかたちが違い、使いやすいトイレブラシのかたちも違う。「正解がどっち」とは言えない問題が、生活の中に山ほどあります。なのに、なぜか、多くの夫婦が、互いに自分の正義を言い募ります。「スプーンはこういうかたちがいいに決まってる」みたいにね。

我が家は、互いに骨のタイプが違うことを知っているので、こういう争いは一切ありません。「僕は、これが使いやすいんだけど、きみはどう?」という口の利き方になるから。

まずは、夫婦は、まったく逆の答と正義を持っている者同士だと、腹を決めてしまうこと。

そこからでないと、安寧なコミュニケーションは生まれません。

ノートに書く接写
写真=iStock.com/Abdullah Durmaz
※写真はイメージです

夫婦で「なんとなく」「一緒に」は不可能

担当リーダーを決めて、その判断に任せる。これは、我が家でも実践しています。夫が定年退職してから、夫が洗濯リーダーです。洗剤や漂白剤も、ピンチングハンガーも、すべて夫のチョイスに変わりました。

「係」ではなく「リーダー」と呼ぶ理由は、「係」だと「やるべきことを遂行する人」で「リーダーはやるべきことを決めて、中心となって遂行する人」だからです。洗濯リーダーは、洗濯のやり方もタイミングも、自分で決められます。「シーツ、洗っといて」に、「今日はしないよ。大物は休みの日だから」も可。私は自分のワンピースを自分で洗いたいときにも、「洗濯機使ってもいい?」とお伺いを立てます。今朝は、出かける夫に、「洗濯しといて」と言われて、「は~い」と気持ちよく返事してあげました。リーダーは、命令してもいいのです。責任者を決めて、責任者の指示に従う。

「なんとなく」で押しつけ合わないで、責任者(リーダー)と係を決める。それが、家族円満の最大のコツです。