草が生い茂る原野だった丸の内

丸の内の開発の始まりは、今から130年ほど前にさかのぼる。明治政府は軍部移転の莫大な費用を賄うために、丸の内一帯を払い下げることにした。しかしなかなか買い手は見つからず、当時の三菱社社長の岩崎彌之助が買い請けた。

価格は当時の東京市の年度予算の3倍にのぼる128万円。当時の丸の内は茫々と草が生い茂る原野で、周囲からは無謀と揶揄される決断だったが、これを機に、三菱はビジネス街の開発へと乗り出し、1894年には赤レンガ造りの三菱第一号館が竣工する。つまり三菱地所という企業は、原野にオフィスビルが立ち並ぶビジネス街を創造するという、真っ白なキャンバスに絵を描いていくようなイノベーションへの挑戦のなかから生まれ、育っていったのである。

1920年頃、レンガ造りのオフィスビルが立ち並ぶ丸の内
1920年頃、レンガ造りのオフィスビルが立ち並ぶ丸の内(写真=Unknown creator/PD-Art (PD-old-100)/Wikimedia Commons

こうしたチャレンジ精神は、その後も三菱地所のなかに引き継がれていく。その結果として、現在の三菱地所は、丸の内でビルを管理する不動産会社からは大きくスケールアップした企業グループへと成長を遂げている。

拡大し続ける事業分野

今では三菱地所グループの事業分野は、丸の内のビジネス街のエリアマネジメントにとどまらない。国内外でのオフィス、住宅、ホテル、商業施設、物流施設の開発や運営・管理をはじめ、空港運営やファンド運用などへと事業は広がっている。そして丸の内エリアでは、1995年の丸ビルの建て替えの発表を皮切りに、大規模な再開発が進む。

三菱地所は、時代の流れのなかで、国内外の不動産のアセット事業、そしてノンアセット事業の各種のイノベーションに果敢に挑んだり、取り入れたりすることで、成長を遂げてきた。このイノベーションとの関係性を抜きに、現在の高収益企業としての三菱地所は存在しない。