レジ袋はいつ一般的になったのか。河合塾の化学科講師の大宮理さんは「レジ袋の素材として使われるポリエチレンは、かつては大量生産が困難で、戦前までは金塊よりも価値が高かった。大量生産を可能にしたのは、ドイツ人研究者の偶然の発見だった」という――。

※本稿は、大宮理『ケミストリー現代史 その時、化学が世界を一変させた!』(PHP文庫)の一部を再編集したものです。

はじまりは新品の機関銃の保護フィルムだった

100年前と比べて、私たちの生活を劇的に変えた物質は何でしょうか。

それはプラスチックです。青銅器時代や鉄器時代のような分類をすれば、現代はプラスチック時代といえます。プラスチックは都市を包み、人類を宇宙へと打ち上げ、大量消費社会を象徴するアイコンになりました。

第2次世界大戦で金属が兵器の生産に優先されると、その不足した分の素材をプラスチックに求めていく動きが活発になりました。化学工業は合成ゴムやフェノール樹脂などを全力で生産しますが、戦後、これらプラスチックが余ってしまい、新しい消費材の活路を見出していくことになります。

たとえば、どこの家のキッチンにもあるラップがその象徴です。正式名称は、ポリ塩化ビニリデンといいます。アメリカのダウケミカルが生産し、第2次世界大戦のときには、輸送中の新品の機関銃などを海水や潮風などから守る保護フィルムなどに用いられていました。

ラップで覆われたガラスボウルの新鮮な野菜サラダ
写真=iStock.com/Basilios1
※写真はイメージです

戦後、需要が激減し、もてあまして困り果てたフィルム製造企業の社員ラドウィックとアイアンズの二人が、フィルムを持って帰ったところ、ラドウィックの妻がレタスなどをきれいにラップしてピクニックに持ってきて、これを見た女性陣のあいだで大変な評判になりました。

この一件をヒントにロール状に巻いたフィルムを開発し、食品用ラップへと新しい活路が見出されたのです。ラドウィックとアイアンズのそれぞれの妻の名前、サラとアンから「サランラップ」と名付けられました。

ドイツの小さな研究室で起きた偶然の発見

1950年代、世界のプラスチック生産は約200万トンでした。それが1960年代中ごろには12倍以上増えて約2500万トン、さらに1975年には約5000万トンまで増えます。

このプラスチックの“ビックバン”が起こるきっかけが、1953年にドイツの小さな研究室で起こった偶然の発見でした。

ドイツの名門、マックスプランク研究所の研究員だったカール・チーグラー教授は1950年代初頭、金属と炭素原子が結合した有機金属化合物という物質を研究していました。

あるとき、トリエチルアルミニウムという化合物とエチレンを耐圧容器に入れて反応させたところ、エチレンの分子2個がつながった化合物が得られました。「なぜエチレンがつながったのか」と、チーグラーは不思議に思い、原因を究明すると、容器の洗浄が不十分だったため、前の実験で使ったニッケルの微粉末が付着していたことが原因だとわかりました。