城内に300人もの女性を囲っていた
「(羽柴)筑前殿は、まず最初にそこにきわめて宏壮な一城を築いた。その城郭は、厳密に言えば五つの天守から成っていた。すなわちそのおのおのは互いに区別され、離れており、内部に多くの屋敷を有するはなはだ高く豪壮な諸城である。それらのうちもっとも主要な城(本丸)に秀吉が住んでおり、その女たちも同所にいた。八層から成り、最上層にはそれを外から取り囲む回廊がある。また、壕、城壁、堡塁、それらの入口、門、鉄を張った窓門があり、それらの門は高々と聳えていた。(中略)とりわけ天守閣は遠くから望見できる建物で大いなる華麗さと宏壮さを誇示していた」
いまの引用文に「五つの天守」という表現があったが、大坂城に天守が5つあったという事実はない。文脈から察するに曲輪、すなわち本丸や二の丸など削平した区画のことだろう。また、「八層」というのは、外観は5重だが内部は地上6階、地下2階、計8階だったことを指すと思われる。
「その女たちも同所にいた」という表現も気になる。じつは、フロイスは『日本史』に2カ所も、秀吉が大坂城内に300人もの女性を囲っていた旨を記しているのだが、そこは本題でないので引用を続ける。
「我らの言葉でいえば金ピカ」
「別の場所にある一つの台地には、多くの立派で美しい部屋が建てられているが、それらは我らの言葉でいえば金ピカであり、下方に展開する多くの緑の田畑や愛らしい河川をそこから一望に修め得る。これらの夥しい部屋は、種々様々な絵画で飾られている。たとえば日本人がもっとも得意とする大小の鳥、その他自然の風物を描いたものや、日本およびシナの古い史実を扱った絵であるが、これらを眺める者の目を好奇心をもって楽しませずにはおかない」
「これらの建築はすべて木材が用いられ、(中略)外見においてはあたかもヨーロッパの建築のようであり、我らの目になんらの違和感を覚えさせない。だが金箔を施したこれらの部屋も娯楽室もヨーロッパの建物とは異なったところがある。すなわち、その趣向、構造、不思議なほどの清潔さ、はたまた内部の装飾、調和などにおいては、我らのヨーロッパの建築の設計とはあまりにかけ離れ、かつ稀有なもので、これらの建築は我らのものに比べ、はるかに少ない費用でもって大いなる威厳をかもし出しているのである」
「はるかに少ない費用で」云々は、石造建築にくらべれば木造建築はコストが安く済む、という意味である。