ヒグマは子どもを育てようとした

次の悲しい事件も、もしかすると「人さらい熊」によるものかもしれない。

大正14年8月13日、北海道の勇払ゆうふつ厚真あつま村の中山長蔵の二男清治(6)は、兄(11)、隣家の遊び友達(11)と3人で、マッチ工場付近の小川で遊んでいた。

午後4時頃、急に清治がいなくなったので、兄と友達が急いで帰宅し、大人たちを呼んだ。消防組青年団員などが総出で三日三晩不眠不休で付近を捜索したが、清治は見つからなかった。

「大蛇に呑まれたのではなかろうか」とか、「頭は赤く首から下肢は真っ黒な老狐に連れて行かれたのだ」などと、さまざまなうわさが立った。

事件発生から12日後の8月25日、炭焼き人夫が、事件現場から1里(4キロ)も離れた山中で幼児の死体を発見した。

警察と医師が検視をしたところ、死因は餓死で、死後5日と判定された。たった6歳の子どもが山中を4キロもどうやって移動したのか、村人には見当が付かなかったという。

清治は直径3尺もの大きな倒木の側で発見された。下肢には草で擦った傷があり、死に顔は安らかだった。

しかも、着物や帯を枕元に置いてあり、山葡萄を三百もんめもそなえ、ふきの葉を敷いてあった。

その様子から、当時の人々は、「老狐のために78日も養われたらしい形跡がないでもない」などと噂しあったという。(「北海タイムス」大正14年8月28日「奇蹟的な幼児の死 深山中で死体発見」より要約)

もしかすると、この事件では、ヒグマが男児をさらい育てようとしたが、うまくいかなかったのではないだろうか。

ヒグマ
写真=iStock.com/Zocha_K
ヒグマが男児をさらい育てようとした(※写真はイメージです)

というのも、ギリシャでも次の事件が報告されているのだ。