「やせ神話」をつくったダイエットの歴史
ダイエットの歴史をたどると、日本の元祖健康本といえば、儒学者の貝原益軒が83歳のときに書き残した健康指南書『養生訓』でしょう。江戸時代から300年続くベストセラーで、この思想が日本人の心に深く染みついているように思います。
彼は『養生訓』で次のようなことを述べています。
「腹八分たれ」
「節度のある飲食を基本とせよ」
「およそ食べ物は、淡泊なものを好むのがよい。高カロリー、味が濃いもの、脂っこいものなどをたくさん食べてはならない」
「老人は食を少なめに」
「食事は抜くことも必要」
「ひどく疲れたときに多くを食べてはならない」
確かに一理ありますが、高齢者は食べ過ぎよりも食べない悪のほうが多いのです。
さて、明治以降のダイエットの歴史をふりかえってみましょう。
日本は明治維新以降、鹿鳴館時代に西欧化が進みます。女性はコルセットをつけてドレスアップしました。ファッションは洋装化され、食事も菜食から肉食化が進んでいきます。
日本人の平均寿命が初めて50歳を超えたのは、1947(昭和22)年でした。
1953(昭和28)年2月1日、NHK放送会館で日本初のテレビ本放送が始まりました。コマーシャリズムの始まりです。金銭的な利益を得ることを第一とする考え方ですから、他のあらゆる価値よりも営利を最優先させます。
1967(昭和42)年、イギリスのファッションモデル「ミニスカートの女王」ツイッギー(当時18歳)が来日しました。彼女をイメージしたコンテストが催されるほどの過熱ぶりで、これによって女性の9割がミニスカートをはくようになったといわれています。
みなさんも当時、ミニスカートをはかれたのではないでしょうか。
ツイッギーの身長は165cm、体重41kgと報道されています。この小枝のような華奢な体型に多くの女性が憧れました。計算すると、彼女のBMIは15.06です。
BMIが18を切ると死亡率が50%も上がってしまうのに、そんなことも知らない当時の多くの女性はツイッギーのようにやせることに憧れました。その後、過激なダイエットや強力なやせ薬、人工的な美容整形に拍車がかかりました。
それまでは原節子さんや京マチ子さんのようなふっくらした女優が日本映画では人気がありました。
たくさんのダイエットブームにふりまわされてきた歴史
1968年(昭和43)年になると、日本のGNPは米国に次ぎ世界第2位になりました。1970年(昭和45)年に大阪万博が開かれ、日本の高度経済成長のピークを迎えます。
このとき、弘田三枝子著『絶対やせるミコのカロリーBOOK』が150万部の大ベストセラーとなりました。
1971年(昭和46)年、ニクソン・ショックの後、円高が始まり、外国製品が安く買えるようになり、ルームランナーやぶら下がり健康器などのホームフィットネス用品が一大ブームを巻き起こします。
音楽に合わせてステップしながら激しく体を動かす有酸素運動「エアロビクス」が広がったのが1981年。りんごダイエットやこんにゃくダイエット、紅茶きのこダイエット、リンパの流れをよくするタワシダイエットなど、さまざまなダイエットが登場します。
1988年に出版された骨盤ダイエットの元祖ともいわれる川津祐介著『こんなにヤセていいかしら』は200万部の大ヒットとなりました。一方で、1980年代にカーペンターズのカレンさんが拒食症で亡くなる出来事に、多くの人が衝撃を受けました。
90年代に入ると、我慢するダイエットから、ややお手軽なダイエットがブームになります。ダイエットスリッパや風船ダイエット、髪をしばることで頭部のツボを刺激する髪しばりダイエットが代表例です。
そして、2004年、ダイエット・フィットネス界の「鬼軍曹」ビリー・ブランクスによる「ビリーズブートキャンプ」が大ブームになりました。
7日間の減量プログラムを消化する短期集中型のエクササイズで、日本ではDVDが150万枚、世界では1000万枚の大ヒットとなりました。
ほかにもダンベル体操やキャベツダイエット、寒天ダイエット、ホットヨガ、デトックスダイエット、朝バナナダイエット、酵素ダイエット、骨盤矯正ダイエットと続きます。
2010年代に入ると、レシピ本『体脂肪計タニタの社員食堂』が大ブームとなりました。
この中のダイエットを一度は試した方もいらっしゃるのではないでしょうか。いま70代の方であれば、「エアロビクス」がブームになったのは20代のころでしょうか。たくさんのダイエットブームにふりまわされてきた歴史です。