早稲田はなぜ入社後に失速するか
80年代、就職時1位だった早稲田。勢いは入社時だけで、30年後には慶應、東大の後塵を拝しているのが印象的だ。
各年代には、残念ながら「就職時は元気があったのに、今は幸せそうではない大学」が存在する。
1970年代入社組では、男性は日大が6位(就職時)→15位(今)、女性はお茶の水女子大学が6位(就職時)→14位(今)に転落。
70年代入社となるとそろそろ定年退職の時期だが、振り返ってみれば、日大出身者は必ずしもその多くが組織の中で高い地位を占められる状況ではなかったようだ。日大の社長数は日本一多いのだが、建築、土木、製造業など理工系で数を稼いでおり、単純に規模の大きい大学だから社長、役員の数も多いのだと言える。今の受験生、特に文系志望者には、「社長、役員になるなら日大が有利」と勧められるかは微妙である。
お茶の水女子は、入学時の偏差値やステータスは高いものの、40年後に振り返ってみると、幸せそうにしている女性が少ないという結果に。男性中心の企業社会ではそれほど活躍の場がなかったのかもしれない。
80年代では、男性は早稲田が1位→3位に。当時のレジャーランドと化した大学で遊びまくっていた学生は、勢いは入社時だけで、30年後には慶應、東大の後塵を拝しているのが印象的だ。やはり遊びも勉強もしっかりやった学生のほうが幸せ度が高いのだろう、京都大、大阪大など国立大が上位となっている。
女性は上智(3位→14位)、青山学院(4位→14位)が凋落著しい。かわって食い込むのが京都女子(19位→9位)、日本女子(15位→9位)である。この差は何だろうか。
80年代前半は女子大生ブーム、男女雇用機会均等法の制定は1985年。このあたりにヒントがありそうだ。入社時には有名女子大生ともてはやされても、まだ企業では「お茶汲みOL」「寿退社」「セクハラ」といった女性軽視の風潮が強かった時代。女性の専門性を生かした就職先が多かった伝統的な女子大のほうが、手堅い就職をした可能性が高い。
90年代は、男性は立命館が12位から圏外へ、女性は関西学院が6位から14位にランクダウン。男性は去った立命館のポジションに京都産業が座っており、今では遠い昔話だが、立命凋落、京産優位と言われた時代を象徴している。言わば立命館どん底の時代だ。
2000年代も女子大の凋落は続き、粘っていた日本女子大もついに消えるが、京都女子大はしぶとく残る。男性では関西で圧倒的に強かった関西学院が5位から9位へ。受験の世界で立命館が大躍進した時代の成果が、少しずつ関学に影響を与え始めている。
10年代にはついに立命館は同志社をも抜く。ただし関西、関西学院は相変わらず強い。女性ではついに京都女子が力尽き圏外へ。最下位グループとはいえ武庫川女子がまだ登場するあたりに同大学のしぶとさが見える。
こうして見ると、名前が消えない上位校はいくつもあるものの、幸せ度の変化は変動が激しいことがわかる。それは、70~90年代は(特に女性の)雇用環境、00年~10年代は、各大学の教育改革の成果が大きく影響しているといえるだろう。やはり出身大学が人生に与える影響は大きいのだ。