頭蓋骨に拳大の大穴があけられ、骨盤に肉片が付着…

翌4月18日に出された続報では、発掘された死体は計150体に増え、「火葬場付近を掘ればなお続々死体が出る有様で、当局においても今更ながら驚愕きょうがくしている」と書かれている。

19日になると、発掘死体は200体を超えた。それらは「頭蓋骨にこぶし大の大穴があけられ、骨盤に肉片が付着したものもあり」という凄惨せいさんなもので、「現場には縄を張り巡らし発掘を継続中であるが、現場には数百名が押しかけ大騒ぎである」という。

そして20日の最後の続報によれば、発掘遺体は合計249に達したところで警察の捜査は打ち切られ、なお市役所が捜索したところ、裏山の雑木林から14の遺体を発掘し、さらに「付近から散らばった人骨が続出している」という。

遺棄いきされた遺体の総数は、犯人ですらわからなかったのではないだろうか。

「隣組」などの相互監視で密売が難しくなった

この種の事件は、昭和10年に報じられた、北海道美唄町の火葬場の火夫、椎名永太郎(58)が人骨を密かに病者に与えていた事件(「北海タイムス」昭和10年8月6日)を最後に影をひそめる。

なぜ無くなったのか。昭和12年の盧溝橋事件と日中戦争開始以降、社会が急速に軍国主義に傾き、「隣組となりぐみ」などの相互監視が行われ、密売が難しくなった可能性が考えられる。

火葬場の改良で遺体損壊の機会がなくなった

また、もう一つの理由として、火葬場の施設が改良されたことも挙げられる。

明治・大正当時の火葬技術が稚拙ちせつであったことは、次の記事からもうかがえる。

聞き捨てならぬ非文明な火葬場 大破して役に立たず死者の霊も泣かん

「鉄板一枚を野天のてんに置き、その上に棺を据え、薪炭しんたんを周囲に積み、石油を注いで点火すると、木製の棺だけはまたたく間に焼けてしまうが、死体は容易に焼けず、赤裸々に鉄板上に露出し、その上、定まった穏亡がおらぬため、死人の縁者か、または日雇いの素人が、酒か何かの勢いで木片を持ち、死体を反しては焼き、また反す」(「小樽新聞」大正14年8月24日)

屋外に鉄板を置き、その上に棺を乗せて薪や炭などを周囲に積み、石油をかけて火をつける。木製の棺はすぐ焼けてしまうが、死体は焼け残り、鉄板の上にさらされることになる。

これは火葬場が倒壊したための急場しのぎの措置ではあるが、当時の火葬技術の劣悪さが窺える。そして火葬場の火夫にとって脳漿や金歯を窃取することが容易であったことも推察される。

しかし新式のかまどが登場すると、状況は一変する。

「目下、春採の火葬場にて使用する竃は昨冬、新たになりたる、いわゆる小松式なるものにて、一度竃中に棺を納め、火を放てば、再び取り出す余地なく、人を焼く物凄き煙、わずかに白煙を出すに過ぎざる改良竃とて、尋常じんじょう一様の手段にては人肉を取り出すの機会あるべきはずなき」(「北海タイムス」明治44年6月1日)

この「小松式」のような「改良竃」が普及していったことで、遺体損壊の機会が自然に失われていったものと思われる。

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