死体の臀部と股から約3斤半の肉をえぐり取り…

佐世保市内の仕立職、松永要四郎(37)という者が、酒一升を提げて、火葬場に住む久花熊太郎(54)を訪ね、こう言った。

「お前は人の生き肝や生肉を切り売りしていると聞いている。自分の義兄弟が長いこと病気にかかっているが、人の生き肝を食わせれば直ちに全快すると聞いた。なんとか人の生き肝を分けてもらいたい。病死者の肝は効能が薄いようなので、変死者の肉を取ってくれ」

持って来た酒を酌み交わしつつ要四郎が依頼すると、熊太郎は「なに、簡単なことよ」と承諾したという。

そうして変死人が出るのを待っていると、2週間ほど経った頃に、島原湾で演習中の軍艦出雲でケーブル切断事故があり、死亡した2等水兵の死体が火葬場に運ばれて来た。

熊太郎は鋭利な鎌を用いて、死体の臀部でんぶと股から約3斤半の肉をえぐり取り、納骨壺に納めて要四郎に手渡すと、金五円と酒一升の謝礼にありついたという。

人肉の一部を刺身にして食べさせた

「(要四郎は)右の人肉を受け取るや飛ぶが如くに帰宅して、肉の一部を刺身となし、醤油に浸して自宅に同居する(中略)戸部藤四郎(三十)に食せしめ、残りを黒焼きにし、朝夕服用せしめたるも、何らの効なきにぞ、藤四郎は全く欺かれしものと思いて、要四郎と不和となった。しかして佐世保署の警官が熊太郎の居宅を捜索せしに、夫人または小児の死衣を剥ぎ取りたるもの多数あるのみならず、生肝、脊髄、脳味噌、舌等を他人に売却し、買受人より口外すまじき旨、誓いたる連署の証文、数十通を発見したりと」(「樺太日日新聞」前掲)

要四郎は死体から切り取った人肉を持ち帰り、一部を刺身にして義兄弟の藤四郎に食べさせ、残りは黒焼きにして服用させたが効果なく、藤四郎はだまされたと思い込んで要四郎と仲が悪くなり、その結果、事件が発覚。佐世保署が熊太郎の自宅を捜索すると、火葬された人々の死衣多数と、生き肝や脳味噌を売買したことを口外しないことを誓った証文、数十通を発見したというのである。

マグロの刺身
写真=iStock.com/Hiromi Kudo
戦前の日本では「人肉の刺身」が食べられていた(※写真はイメージです)