意外な人物の主導で決まった市の再婚
ドラマでは、家康(松本潤)は清須会議の結果と、そこにおいて市(北川景子)が勝家(吉原光夫)との再婚することが決まったという話を聞いて、「これでお市様もお幸せになることじゃろう」と言う。
市は賢いので、秀吉を警戒して先手を打ち、みずからの意志で秀吉(ムロツヨシ)に対抗しうる勝家のもとに嫁ぐことにした、という描き方のようだ。
しかし、勝家が堀秀政に宛てた天正10年(1582)10月6日付の書状には、秀吉と申し合わせて主筋の女性と結婚する承諾を得た旨が書かれている。すなわち、清須会議で敗北し、不満を募らせる勝家に対するガス抜きとして、勝家が望んだ市との結婚が承諾された可能性が指摘されている。
ほかに信長の三男で勝家が擁立をねらった織田信孝が仲介したという説もあるが、いずれにせよ、市がみずから自分の嫁ぎ先を決めたり、そのように画策したりすることだけはありえない。すでに述べたように、この時代の女性は、自分の運命を自分で決めることはできなかった。したがって、家康が「これでお市様もお幸せになる」という感想を抱くこともありえなかった。
家康が思っていた織田家の跡継ぎ
とはいえ、市には覚悟だけはあったことだろう。
本能寺の変からわずか10カ月後の天正11年(1583)4月、勝家は賤ケ岳の合戦で秀吉に敗北。敗走して居城であった越前(福井県)の北庄城(福井市)に帰るが、秀吉に急追され、城に火を放って、一族や家臣、女房衆ら80余人もろとも自決した。
その際、浅井長政とのあいだにもうけた3人の娘は、秀吉のもとに届けさせたが、市自身は勝家に逃げるようにいわれながら、それを拒んでともに自害した。享年37。嫁ぎ先は選べないが、せめて生きることを拒む権利はあったということである。
「どうする家康」では、勝家から家康に、市が家康の助けを信じて待っている旨が書かれた書状が届く。しかし、家康は本多正信(松山ケンイチ)のアドバイスもあって秀吉を敵に回す危険を考え、助けたいという気持ちを泣く泣く抑える。
だが、どうだろうか。家康と勝家は本能寺の変ののちの体制について、考え方が異なっていた。勝家は前述のように、信長の三男の信孝を立てたが、家康は当初、秀吉同様に「三法師を奉じて明智を打倒するために上洛すると宣伝していた事実がある」(『天正壬午の乱』)。信孝を奉じる勝家を「助けたい」と思わなかったのではないか。
ドラマだから、市と家康の心のつながりというフィクションを導入するのはいい。だが、女性の活躍推進を目指す現代からの希望的な視点が、強く押し出されてはいないだろうか。それが行きすぎると「歴史ドラマ」ではなく、装束だけが歴史的な「時代劇」になってしまうと思うのだが。