光秀が軍法に記した「瓦礫沈淪」の本当の意味

光秀の時代まで、軍役の具体的指示書を発していたのは、これら東国三大名家以外に認められていないが、豊臣秀吉の時代になると、どこの大名も当たり前に同じ様式の軍役を定めるようになっていった。光秀は東国で流行する軍隊編成を畿内でいち早く取り入れようとした。その証跡が「明智光秀家中軍法」なのである。

最後の文章を紹介する。

【意訳】
右のとおり軍役を設定した。まだ改善点があれば何でも指摘せよ。武装と人数が知行に合わないなら修正する。そうすることで愚案の問題点を明らかにする。集まる者たちが外見をきにせず、割れた瓦も同然でいると(原文:瓦礫沈淪がれきちんりん)、ただでさえ莫大ばくだいな人数を預けられているのだから「法度が行き渡っていない」、「武功もない輩」、「国費のムダ」だと見下され、多方で苦労させられよう。粉骨して武功を立てれば、必ずすぐに信長様へ報せるので、家中軍法をこのように定める。

「瓦礫沈淪」の字句は、光秀研究において有名だ。通説はこれを「私光秀は石ころのような身分でいたのを(信長様に)拾われましたが」、または末尾の文章に接続して「だからお前たちの活躍もしっかり報告して出世できるぞ」と言いきかせるための前置きのように説明してきたが、そうではないだろう。

ここにあるテキストは「軍役(動員の制度)」に関する内容である。するとこの「瓦礫沈淪」は、あくまで「軍役」に補足する一文として読むべきだろう。

信長への感謝の言葉ではなく「バラバラになるな」の意

自分の部下たちに読んで従わせる公式の軍制に、私的な情緒や体験を述べるのは不自然だ。光秀は信長から「あなたの手紙の内容は具体的で、目に見えるようにわかりやすい」と誉められたこともあるほど、テキストの扱いが的確である(『増訂織田信長文書の研究』463号)。相手にわかりやすくズバリというタイプなのだ。

ここは「わが軍が、バラバラになった瓦礫みたいになってみっともないのはよろしくない」という文意で読み、あくまで軍制に関する内容を記しているとするのがよいのではないだろうか。

そもそも「瓦礫沈淪」を説かれているのは誰であろう、光秀の家中に入ったばかりの新参者たちである。光秀は天正8年(1580)に信長から丹波一国を与えられた。光秀の兵員はここで爆増した。これら莫大な人数を個別に指導している余裕はない。手早く統制する必要がある。