60歳を過ぎ、ビジネスの第一線から退いた後も、自由で楽しく生きるためにはどうしたらいいのだろうか。教育学者の齋藤孝さんは「大いに楽しく生きることを目指すブッダの教えを意識するといい。生まれ変わった気持ちで、自由な精神、屈託のない子どもの頃のような心に還ってみるのもいいのではないか」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、齋藤孝『60歳からのブッダの言葉』(秀和システム)の一部を再編集したものです。

スマホを使用する人
写真=iStock.com/mapo
※写真はイメージです

ブッダが目指す「大いに楽しく生きる」生き方

仏教と言うと、煩悩を滅して欲をなくすという教えですから、えてして人生の楽しみとは無縁のようなイメージで捉えられがちです。

しかしブッダの言葉を読むと、それが誤解だと分かります。

悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮そう。(『真理のことば』198)
むさぼっている人々のあいだにあって、わずらい無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々のあいだにあって、貪らないで暮そう。(同199)
つまらぬ快楽を捨てることによって、広大なる楽しみを見ることができるのであるなら、心ある人は広大な楽しみをのぞんで、つまらぬ快楽を捨てよ。(同290)

大いに楽しく生きる。それがブッダが目指す生き方なのです。

ただ、本当の楽しみとは欲望にまみれ享楽的に生きることではありません。それは苦しみや争いの元になってしまう。

そうではなくて、欲望や執着を離れることで、本当の安らかで自由な喜びと楽しみがある。

深刻で気難しい顔をして暮らしなさいなどとは、ブッダは一言も言っていません。

「2割ブッダ」を意識しながら、自由で楽しい境地を探っていきましょう。

自由で柔軟な心を取り戻す

誰でも子どもの頃は自由な心を持っていたはずです。特に小学校3年生くらいの頃は、すべてが面白く、毎日が新鮮で楽しかったのではないでしょうか?

私も仕事柄、様々な年代の授業や講義を受け持ちます。その中で、8歳から10歳くらいの子どもたちは、とにかく元気溌剌で明るく、屈託がありません。

思春期に入って自我が目覚めると、自意識が高まるとともに葛藤や悩みが増えます。子どもの頃のような底抜けの明るさは消えていきます。さらに成人して社会に出ると、だんだん無邪気な明るさが失われてしまう。

特に男性は、世の中の常識やビジネス社会のシステムの中で、生き生きとした感情表現を失ってしまいます。

60歳、還暦を過ぎたら干支は一周し、窮屈なビジネスの競争の最前線からも距離を置くことができる。

ならば、ここがチャンスです。生まれ変わった気持ちで、自由な精神、屈託のない子供の頃のような心に還ってみるのもいいと思います。