「ノートをきれいに書くべきvs書く必要はない」論争

そもそも、筆算を含め算数のノートをきれいに書くべきか否か。実はこれは、何十年も前から議論が分かれているところである。

「きれいに書くべき」派は、ノートは思考を整理する場であり、当然整っているほうがよいという考えである。ふだんから雑に書いていると、テストでも雑に書くことにつながり、困ったことになると考える。

例えば「0」なのか「6」なのか判別がつかない数字を書くことで、計算ミスを誘発する。

漢字テストなどの場合はもっと顕著で、重要ポイントが判別できないとなると当然×である。

汚く書くことでミスが起きるため、それを防ぐために丁寧に書くべきという論理である。

これは「教員が黒板に書いたものを丁寧に写す」という行為とも間接的につながる。

一方で「ノートをきれいに書く必要はない」派の主張も根強い。これは「ノートというものは本人が学ぶためにあるもので、他人に見せるためにきれいに作るものではない」という考えである。

こちらの方が「リベラル」な感覚の人には好まれる。また人によっては書くスピードが思考スピードに追いつかず、もたつくというのである。さらに先の「黒板を写す」という行為にも批判的で「無思考で写すことで、考えない子どもが育つ」という主張にもつながる。

黒板
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果たして、どちらの主張が正しいのか。

これについては「相手と場合による」という回答になるかもしれない。「これだけが絶対正しい」という答えはない。

以下、ノートの丁寧さよりもさらに限定的な「筆算時の定規の使用」を例に挙げてその理由について述べる。