自己啓発書に固有のダイナミズム

とはいえ、近年の「心」に関する書籍において、まったく震災への言及がないわけではありません。たとえば2012年1月に刊行された本田健さんの『読むだけで心がラクになる22の言葉』では、「地震、不況などの影響で、不安や心配に押しつぶされそうになっている人も多いでしょう」(11p)として本編が始まっています。しかしその後は、一生の間に地震などの自然災害に襲われ、悲しみや痛みを人は経験することがある(89p)、震災後の「頑張ろう!」というムードは突き詰めると苦しくなる(95p)、といった記述があるのみに留まっています。また、現在の世の中についても、「現在のような閉塞感が漂う状況」(65p)、「今、世界が大きく動いています」(140p)という以上に具体的な説明はありません。つまり、震災を含めた社会的状況に触れてはいるのですが、前置きや数か所程度での言及に留まっており、それらが本田さんの議論の核にあるわけではないのです。

より直接的に震災後の生き方について考えようとする自己啓発書もあります。正現寺住職・小池龍之介さんの『3.11後の世界の心の守り方 「非現実」から「現実」へ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011)がその例です。同書は、震災後の「精神的動揺」(3p)や「悲しみ、衝撃、混乱、不安、怒り」(4p)から、「脱出すべく心を護る方法」(4p)について説こうとする著作です。

『3.11後の世界の心の守り方 「非現実」から「現実」へ』
 小池龍之介/ディスカヴァー・トゥエンティワン/2011年

同書では、本文118ページのうち、震災に関する文言(震災、原発事故、被災、大地震、復興、3.11、津波など)が延べ28ページに登場します。他の「心」系ベストセラーにおいてこれは破格に多く、小池さんが震災の問題に真っ向から取り組まれていることがわかります。

しかしそれでも、小池さんが説く「心を護る方法」、つまり主張の核となる部分は、それ以前の著作と原理的には同様です。小池さんの主張の中核にあるのは、執着を手放すという態度の体得だといえます。具体的には、人によりよく見られたい、自分を分かってほしい、相手を思い通りにしたい、別れた恋人に未練がある、思い通りに生きたい、あれが欲しいこれが欲しい、等々といった執着を手放すことを小池さんは説きます。

このとき小池さんは、「ドーパミンの中毒症状」(『ブッダにならう苦しまない練習』78p)、「幻想」(129p)、「錯覚」(130p)、「妄想」(160p)、「心の乱れ」(178p)、「脳の幻覚」(190p)など、実にさまざまな表現を用いて、種々の執着は余計な、偽りのものに過ぎないと退けていきます。こうして「心の重荷」(147p)を一つ一つ降ろし、ものごとに必要以上にこだわらない態度を体得しようというのが小池さんの基本的な主張です。

『3.11後の世界の心の守り方』でもこうした方法論は同様です。たとえば「『災害に遭うという事実そのもの』と『それを頭のなかで嘆かわしいものとして情報加工すること』」(13p)を区別し、後者の情報加工をストップすることで「心の二次被害」(17p)を防ごうとする手法は、上述した必要以上のこだわりを捨てようとする主張にもとづくものといえます。この書籍の副題で、メインテーマでもある「『非現実』から『現実』へ」という表現も、「<現実=起きてしまったこと>と<非現実=私たちの脳内反応>とを区別する」(21p)と説明がなされているように、同様の主張にもとづくものです。このように小池さんにおいても、震災前後でその主張の基本線は変わることがないのです。

ここで私が強調したいのは、震災後にそのことに必ず触れねばならないということでも、その論じ方に問題があるといったことでもありません。そうではなく、震災という非常に大きな出来事を経ても、「生き方論の結晶物」たる自己啓発書の内容にそれがまったく入り込まない、もしくは入り込んだとしても、自己啓発書のありようを根本から塗りかえるような劇的な影響を観察できない ということです。

ここまでの話は、「心」に関するベストセラーについての、この原稿を書いている2012年7月時点での観察結果です。そのため、他のタイプの自己啓発書では傾向が異なるのかもしれませんし、今後状況は変わってくるのかもしれません。しかし多かれ少なかれ、自己啓発書のトレンドには、社会一般の動向とは幾分異なる、独自のダイナミズムがあると考えられるのです。

さて、次回は具体的に近年の「心」系ベストセラーから見えてくる現代社会について考えてみたいと思います。タイトルは「『心』系の本はなぜ単純な構造になるのか」です。

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