震災前後で内容が変わらない

さて、今紹介した傾向のうち前者、つまり不安や苦しみを解消しようとする書籍群について、さしあたり私は次のようなことを考えました。こうした書籍が売れるのは、やはり震災の影響があるのだろうか、と。

もちろん、そのような思いで先に挙げた書籍を手にとった方は間違いなくいるでしょう。しかし、実際にこれらの書籍を読んでみると、またそれ以前のベストセラーをみていくと、どうも私の見立てはそう単純にあてはまるものではないと思うに至りました。

というのは、これらの書籍の多くには、震災に関連する文言がほとんど出てこないからです。たとえば心理カウンセラー・石原加受子さんの『「しつこい怒り」が消えてなくなる本』は、日々のイライラは「他者中心」の考えをとっていることによるもので、「自分中心」の考えをとればイライラは解消できるとする書籍です。より具体的には、職場での上司、同僚、親、友人や恋人など、人間関係のすれ違いから発生するネガティブな感情を根本から断ち切る思考法が論じられています。

この書籍が独特なのは、どのような職場でもあてはまり、また10年前でも10年後でもあてはまるような書き方がされていることです。だからこそ多くの人に読まれうるわけですが、逆にいえば、たとえば不況下で職場環境が変化したために人間関係が悪化したというような、具体的な社会的背景についての描写がまったく捨象されているのです。このような著述スタイルであるため、震災についても記述はありません。

とはいえ、同書の刊行は2011年5月末なので、震災関連の記述を期待するのはないものねだりです。重要なのは、今挙げた本の傾向を踏まえて、石原さん の近著である『「やっぱり怖くて動けない」がなくなる本』(2012、すばる舎)と比べてみることです。

「やっぱり怖くて動けない」がなくなる本』
 石原加受子/すばる舎/2012年

同書は、思い通りの人生を送れないのは「他者中心」の考え方をしているからで、「自分中心」の考え方を身につけて人生を好転させようという内容の書籍です。基本的には上掲した主張とほぼ同じだといえます。挙げられる事例もまた、職場での上司、同僚、親、友人や恋人との人間関係において自分の主張を引っ込めてしまうといった類のものです。そして同書でも、社会的背景に関する文言はほぼ出てきません。つまり、震災前後で著述内容にまったく変わりがないのです。これは石原さんに限らず、嶋津良智さんの『怒らない技術』と続巻『怒らない技術2』(フォレスト出版、2012)を比べても同様です。

『怒らない技術2
 嶋津良智/フォレスト出版/2012年

こうしたことに私が注目するのは、「震災の影響」がこの連載の趣旨に関わっているからです。もちろん、「震災の影響」というテーマは軽々に扱えるようなことがらではないとは思うのですが(これは、自己啓発書の書き手にとっても、私自身にとってもです)、この連載の目的の一つは、2011年の震災を経て、「生き方論の結晶物」としての自己啓発書に何らかの変化が起きているのかを観察することにあります。そこで先のような雑駁な見立てを行ってみたのですが、どうも「心」に関する書籍群にはその影響をあまりみてとれなさそうなのです。

ここで2011年3月以前のベストセラーに目を転じると、人間関係から生じるネガティブな感情を解消しようとするベストセラーは、震災があって初めて出てきたのではなく、震災以前からのものであることがわかります。

嶋津さんの『怒らない技術』がまさにそうですし(同書はより以前の2007年に出版された『雨がふってもよろこぼう! 人生が良い方向に向かう!心を鍛える25の習慣』フォレスト出版、2007の改題版でした)、石原さんはそれ以前から『「つい悩んでしまう」がなくなるコツ』(すばる舎、2009)など、上掲したものと同内容・同路線の書籍を刊行し続けています。植西聰さんも、『折れない心をつくるたった1つの習慣』以前から、『1秒で「心が強くなる」言葉の心理術』(三笠書房、2010)といった同路線の書籍を数多刊行しており、震災後もその路線にぶれはありません。本田さんの書籍もまた、数多ある彼の「しておきたいこと」「習慣」「法則」本の一展開だとみるべきでしょう。

「つい悩んでしまう」がなくなるコツ』
 石原加受子/すばる舎/2009年
1秒で「心が強くなる」言葉の心理術』
 植西聰/三笠書房/2010年