男性のハイヒールを女性も真似しだした

ぶっきらぼうで喧嘩っ早く、体格のよい若い男たちが、男らしさを誇示するかのように乗馬と社交の両方の場でヒール靴を履いて歩き回るようになった。一般大衆が彼らの真似をしはじめると、貴族階級はさらに高い、いかにも実用的でないヒールを履くようになった。そんな馬鹿げた靴を履いて庶民がよろよろと肉体労働に従事するのは不可能だとわかり切っていたからだ。

もちろんヨーロッパの冬は雨が多く湿度が高いことで知られている。そのため、この最新流行のハイヒールにはちょっとした問題があった。泥に沈んでしまうのだ。

この問題の解決法として考えられたのは、乗馬靴を平底ミュールに差し込むということだった。靴のための靴だ! 履いて歩くとビーチサンダルのようにピシャリと音をたてる(スラップ)ことから、これはスラップ・ソールと名づけられた。

1600年代初めになると、富裕層の女性も男性のファッションを真似しはじめる。しかし馬に乗る必要がなかった彼女たちのスラップ・ソールでは、平らな靴底は高く持ち上がった部分に接着され、その結果土踏まずの下に三角形の空間が生まれた。

ピンクのハイヒールを履いた女性
写真=iStock.com/MoustacheGirl
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「ドレスの長さ」を見せびらかすため

ただし、かかとが非常に高い靴はそれ以前にはまったく存在しなかったわけではない。ルネサンス期ヴェネツィアのファッショナブルな女性たちは、すでに数世紀前から厚底の靴を履いていた。チョピンと呼ばれたこの種の靴は馬鹿馬鹿しいほど厚底で、履いた者を他人よりも、比喩的にも文字どおりの意味でも持ち上げることができた。

ときに50センチメートルという目もくらみそうな危険極まりない高さに達するチョピンを履いた彼女たちは、両脇を召使いに支えられて、通りを、あるいは出席した社交の集いで、よろめき歩いたのだった。

その不便さは、実は意図されたものだった。チョピンが高いほど、これを履いた女性は、床まで達する長いドレスの豪華さを見せびらかすことができたからだ。要するにチョピンとは、所有する富を周囲に見せつけるための自己満足の道具だったわけだ。センメルハック博士が指摘するように、女性が富の動く広告塔を務めてくれることで最も得をしたのは、亭主やパトロンだったかもしれない。

一方、裕福な男性は18世紀初頭になってもヒール付き靴を履きつづけた。当時の最も有名なファッショニスタはフランスの名高い太陽王ルイ14世だろう。やわらかい革や布でできたその美しい靴には豪華な刺繍が施され、ヒールも色が塗られたり赤く染められたりしていた。