藤井純一(ふじい・じゅんいち) 1949年、大阪府生まれ。近畿大学農学部卒業後、日本ハムに入社。97年、Jリーグクラブのセレッソ大阪取締役事業本部長、2000年に同社社長。05年、北海道日本ハムファイターズ常務執行役員事業本部長、06年社長就任。日本一という成績だけでなく、黒字転換、地域密着を成功させた。現在近畿大学経営学部教授。

Jリーグのセレッソ大阪とプロ野球の日本ハムファイターズで社長を歴任するという異色のキャリアを持つ藤井純一氏。鳴かず飛ばずの赤字チームを見事に変ぼうさせ、ファイターズでは44年ぶりの「日本一」に輝くなど、大きな成功を収めている。その要因は一体どこにあるのか。

「セレッソにしろ、ファイターズにしろ、一生懸命やっていれば、いつか優勝するだろうと。そんな意識でいました。優勝するために何をすべきなのか、という議論が抜けていたのです」そこで、チーム強化に必要な施策を次々に打ち出し、まい進する。ファイターズが独自開発した戦力のデータベース化は最たる例。在籍選手にとどまらず、プロ12球団すべての選手を対象にした優れものだ。

「もうひとつは社員のコスト意識。業績がよくなくても親会社が助けてくれる、赤字を補填してくれる。事実、そうしてきた経緯がこれまでにあったわけですが、そういう生ぬるい考えも変える必要がありました」藤井氏は日本ハムに入社後、営業企画や広告宣伝といった仕事に携わってきた。サッカーも野球もいわば門外漢であり、スポーツビジネスにいたるや、まったくの畑違い。とはいえ、臆することはなかった。

「スポーツビジネスはどこか特別な仕事のように映るかもしれないけれど、お客さん(ファン)のニーズに合ったものを提供できるか、どうか。そこが大事なのはほかと何ら変わりません。日本ハムで営業マンをやっていたときに感じたのは、こっちの都合だけでものを売ろうとしてもそれは無理。でも、お客さんが必要なものは買ってくれるということです」

藤井氏自ら自転車にまたがり、割引チケットつきのチラシを配って回ったこともあれば、集客イベントの一環としてお好み焼きを焼いたこともある。ファンサービスファーストを旗印に奔走した日々。それがこの一冊に凝縮されている。

(小倉和徳=撮影)
【関連記事】
衰退事業でもヒットを出すマーケティング・リフレーミング
「業績急降下」特効薬は気づきの仕かけにあり
【3】エムグラントフードサービス社長
再生完了!JAL流「アメーバ経営」を解剖する
世界90カ国で受けつがれるダイキンの流儀
24年連続の成長生んだ「駑馬十駕」 -ニトリホールディングス社長 似鳥昭雄【1】