「オグラ、ちょっと黙れ」
オシムがジェフの監督に決まったとき、その価値を祖母井の次に知っていたのは恐らく小倉勉だろう。天理大学を卒業した1990年にドイツに渡り、ヴェルダー・ブレーメンのユースなどを指導し92年に帰国してコーチとしてジェフに入団した。
「オシムさんに関しては、イタリアワールドカップでユーゴスラビアの監督だった人という印象が強かった。ストイコビッチにボバンがいてサビチェビッチがいて、みたいなスター軍団を率いた監督が来るのか! と。本当にワクワクしました」
当時の旧ユーゴスラビア代表は、紛争が起きたため92年欧州選手権出場を断念。代わりに出場したデンマークが欧州を制した。そのことも挙げつつ「とにかくすごいチームをオシムさんは作っていた。ジェフに来るなんて夢ちゃうかと思いましたね」
欧州での暮らしを体験していたため、選手の度肝を抜いた「テーブルコンコン」にも違和感はなかった。小倉によると、例えば大勢で食事をして会話が弾んでいるとき。誰かがひとりで先に帰る際、何も言わずテーブルを拳でコンコンとノックして席を外す。つまり「お先に」と伝える挨拶のような意味でテーブルをノックする人は少なくなかった。
小倉が主に住んだドイツとオシムは縁が深い。母方の祖母はドイツ人。家庭内での会話はドイツ語中心で育ったことでドイツ語が堪能だった。よってドイツ語を話せる小倉は、時に通訳を介さずオシムとコミュニケーションをとった。
ある日のこと。練習試合中、小倉はベンチの前に立ったまま指示を出していた。すると、オシムが近づいてきた。
「オグラ、ちょっと黙れ」
眉間にしわを寄せ不機嫌な様子で言われた。が、小倉は特に間違った指示は出していないので「いや、選手に指示を出しているだけです」と返答した。
「おまえが指示を出したら、その選手が下手になる」
まさかの「指示禁止令」である。一体どういうことなのだ。そこはいったん黙ったものの、試合後にオシムに理由を尋ねると丁寧に答えてくれた。