コーチに対して罰走を命じることも

当時小倉はまだ30代。プロのコーチになって6年ほど経ったころだ。

「日々気づき学ぶことばかり。コーチも選手もみんなそうやったと思います。目の前に選手はおるわけで、本当は学んでる場合ちゃいますよね。でも、当時の僕らあそこまで追いついてなくて。選手が一所懸命オシムさんに食らいついて走ってる。それを見てコーチも頑張る。それを選手が見てくれて俺ら頑張らなあかんなっていうふうに思ってやってたっていう感じですかね」

選手ができないのはコーチが悪い。時に、そんなジョーク入りでコーチにも罰走が命じられた。

「走れ」

選手やコーチへ一斉に向ける言葉は、いつも短い。短いが、深い。それぞれに何ごとかを考えさせる。そのなかで小倉の印象に残っているのは、監督就任直後の韓国遠征を終えた日の言葉だ。

「これは序章に過ぎない。帰ってから本格的に練習する」

「オシムマジック」の正体は根拠に基づいた指導

すでにシーズン開始まで残り2週間を切っていた。優勝だとか、Aクラス入りだとか目に見える目標などは一切掲げない。だが、選手やスタッフに「これから本章に入るから準備しろ」というメッセージとして伝わったと小倉は言う。この5カ月後、ジェフはリーグファーストステージの優勝争いをするのだ。

「オシムマジックとかいろいろ言われましたけど、決してマジックなんかじゃない。指導のすべてに経験に裏付けられた根拠がありました。当時はわからなかったことも、僕自身が経験を積んだ今になって気づくんです。(オシムの指導を)まだ整理しているような感じですかね」

すべて整理するには一生かかるかもしれない。整理しきれないかもしれない、と小倉は言う。ジェフ、日本代表と5年弱続いたオシムとの時間は、そのくらい濃厚だった。

黒板に戦術を書いて示している手元
写真=iStock.com/Kenishirotie
※写真はイメージです

指導力を鍛えられた小倉だが、最も胸に刺さったオシムの言葉がある。

当時のジェフは試合がナイターの場合、午前中に練習をしてから会場入りするのが常だった。先発選手11人は軽く体をほぐす程度に動かす。一方で、サブの選手はエントリー以外の選手と練習をしてから行くのだ。したがって、この練習で誰が先発で誰がサブなのかはわかる。

コーチの小倉はレギュラーとサブメンバーに声をかけて全員バスに乗るよう促した。さまざま手はずを整えて、おもむろにメンバー表を見たら、サブの顔ぶれが違う。ひとり替わっていた。オシムは選手の動きや顔を見て、メンバー表提出のギリギリで変えることもあった。