むしろ非効率になってしまう
そのため、いくらChatGPTが要約が得意だといっても、人間が大量の文書を選別し、重要度を判断しなければならないことに変わりはないのです。
これは果たして「業務効率化」につながるのか。
業務効率というのは、文書作成だけでなく、組織全体、社会全体で効率を上げることで達成されるものです。
業務をChatGPTに任せた場合、社全体、社会全体で本当に業務効率化につながるのかは、やはり人間がその時々に判断するしかありません。やみくもに任せるだけでは、全く逆の「非効率」な結果をもたらす可能性さえあるのです。
生成AIに触れずに生きることは不可能
もう一つ、ChatGPTの導入が議論になるのが教育現場です。小学生の読書感想文から、大学生のレポート作成、就職試験の志望動機に至るまで、「ChatGPTに書かせていいのか」「教員が、人間が書いたものとChatGPTが書いたものを見分けられないのではないか」といった指摘がすでに飛び交っています。
一方では「これからのAIが必須になる時代を考えれば、ChatGPTを教育現場から排除すべきではない」という意見もあるでしょう。
私の意見としては、「今後、ChatGPTを含む生成AIに触れずに生活することは不可能」「だから道具の特性をつかんで、使いこなすべきだ」というものです。
先ほども述べたように、Microsoft Officeにまで実装されるようになれば、日常生活だけを見てもChatGPTを避けて通る方が難しくなってしまいます。
使うか、使わないかよりも重要なのは「いつ、どう使うか」。「使いこなす」というのは、「こういう場面では使わない」ことを判断する力をも含みます。
絶対に使ってはいけない課題
例えば小学生の読書感想文を一から書かせるのは問題でしょう。
読書感想文の目的は、児童自身の読書経験や、物語に対する理解を深め、感性、文章力を養うものです。
読書感想文を親や業者に書かせて提出することが許されないように、ChatGPTに書かせるのも「児童に読書感想文を提出させる目的が達成されない」から許されない、となるのではないでしょうか。
大学生のレポートであれば、「ChatGPTを使うな」というのは難しいことを踏まえたうえで、教員側が学生の能力を判断するために工夫を凝らすことが求められます。
レポート提出では判断できないからと普段の授業での出席や発言を重視するのか。あるいはレポートを提出させたうえで、面接試験を実施するのか。さまざまな方法が考えられますが、これも人間が対処しなければならない問題です。