謙虚で損をすることはない

嫌なヤツが存在するのは仕事関係だけではありません。

定年退職をして、気分は晴れ晴れ、人間関係に悩んだり、気をもんだりすることはあるまい、とタカをくくっていると思わぬシッペ返しを食らうことがあります。私の知人も退職後、地域のコミュニティーで苦い思いを経験しています。

住まいは都内の高級マンションで、住民の多くはエリートサラリーマンや高級官僚、医師、弁護士などだったそうです。管理組合の運営は管理会社に任せっきりというパターンが続いていたのですが、補修工事の中身に関して住民間で意見が分かれてきました。

最初はエレベーターホールの周辺の壁の色をどうするかでもめはじめ、その後どんどん対立がエスカレート。ついには住民を二分してしまったのです。

ふたつのグループの代表格は二人とも元高級官僚で、ともに局長クラスまで務め上げたエリート。ただし、片方が3年先輩だったそうです。トラブルの原因はほんの些細なこと。後輩の口の利き方に先輩が腹を立てたのです。

「○○したまえ」
「なんだ、その言い方は。若造が偉そうなこというな」

若造といっても、もはや若造ではありませんが、これが端緒となり、両者の溝は修復できないほどこじれてしまいました。ちょうど、順番で役員を任されていた知人は両方の間に立たされ、思いもよらない苦労をしたそうです。

「そんなことで……」

私ははじめ信じられませんでした。しかし、考えてみると年功序列制が崩壊しつつある社会では、こういうことがしばしば起こりえます。

企業のトップほど「言葉遣いが謙虚」である理由

仕事では相手が上司や取引先の顧客であれば敬語を使うのは当然です。ビジネスマナーや社会的常識を備えている人であれば、これは自然にできます。微妙なのは、「ここは敬語を使ったほうがいいのか?」と判断がつきにくいシーンです。仕事のうえでも、こういうケースがあると思います。

「相手は見るからに年長者だけど、ウチの社がお客さま。相手に合わせるか……」

私のポリシーは「年齢やポジションに関係なく、ふだんから敬語を使う」です。

どちらかといえば相手が下の立場であっても、むしろ積極的に敬語を使います。その理由は「謙虚な心」の大切さを痛感しているからです。

幸運なことに、私はこれまでにビジネス誌の対談企画で著名な経済人と数多く話す機会に恵まれました。

企業のトップは大まかに二通りに分かれます。カリスマ性に富み、周囲の人間が畏敬の念を持って接するタイプと、社員がフランクに接する仲間的なタイプです。

どちらも成功している経営者はとても魅力的な人たちなのですが、共通しているのは概ね言葉遣いが謙虚だということです。

こういう方々に接すると、つくづく「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざを思い出します。「人格者」と評される最大の条件は謙虚さなのです。