人が信仰を持つ理由は「楽になるから」
【最相】島薗先生とお話ししたいと思ったのには理由があります。昔、私が生命倫理の取材をしていたころ、内閣府の生命倫理専門調査会の委員だった先生にお話をうかがう機会がありました。
胚の研究利用について、カトリックをはじめとする宗教界からの反対意見が多かったことが背景にあるのですが、委員会の帰りの駅のホームで、「どうして人は神を信じることができるのでしょうか」と質問しました。私は正月には初詣に行き、クリスマスはお祝いし、葬式は仏教といったごく一般的な日本人ですから、一神教、なぜ唯一神を信じることができるのかがよくわからなかった。今思うと、稚拙な問いかけだったように思います。その時に島薗先生が一言、「楽になるからだといいますね」とおっしゃいました。
そして、私のように無神論者と言われる一般的な日本人であっても、例えば床に本がおいてあれば、その本をまたぐことに抵抗がある。「それもひとつの信仰心と言えるのではないですか?」と。
『証し』ではクリスチャンの方に6年間取材をしましたが、この2つの言葉が、ずっと私の根底に流れていたように思います。本当に神を信じれば楽になるんだろうか? どんな苦難が訪れても、神を信じれば救われるのか? 信仰心とはいったいなんなのか? そうしたことを問う一つのきっかけとなったんです。
熱心なクリスチャンとの出会い、激しい祈りに圧倒
【島薗】そうでしたか。最相さんがなぜこのテーマを選ばれたのかには興味があります。「おわりに」にも書かれていましたが、最相さんのノンフィクション『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』(岩波新書)の主人公、具恩恵(クウネ)さんとの出会いも大きかったんではないですか?
【最相】そうですね。彼女は中国の朝鮮族で、地下教会を営むお父さんが公安に逮捕されるなど、非常に苦労してきた。そして神様がいない世界を知らない生まれながらのクリスチャンでもあります。私は彼女の身元引受人だったのですが、会う度に「聖書を読め。神を信じないと後悔する」と迫るんです。もう「やめてくれー!」と思うくらいのクリスチャンで。ハルビンにある彼女の実家も行きましたが、カーテンの奥に十字架が隠してあるんですね。弾圧下の信仰の厳しさを知りました。
また、彼女の親戚が韓国へ出稼ぎに行き、その縁で一緒に渡韓した時は、世界最大のメガチャーチである汝矣島(ヨイド)純福音教会で、非常に激しい祈りを見ました。その体験は非常に大きかったですね。ここまで人々が信じる神とは、いったい何かと。