批判の源流は「けん玉」合格の亜細亜大学

芸能人の大学進学は、1988年以前もありました(1965年・吉永小百合さんの早稲田大学第二文学部入学など)。ただ、亜細亜大学の一芸一能入試は、ユニークな人材や芸能人も入学したことで賛否両論となります。

導入した亜細亜大学の衛藤瀋吉学長は、

「受験技術がたけて入った学生は、必ずしも人柄がよくない。頭は悪くても、国際的に活躍できるたくましい神経と異文化に対する包容力、理解力がほしい」

その一環で一芸一能入試を導入した、と説明します。

料理名人(魚の三枚おろしを面接で実演)の入学バッシングに対しては、

「母親に鉛筆を削らせ、夜食を作らせて東大に入った者と、弟、妹の世話をして家事をやって、そのため成績が悪かった者と、どちらがいいか。私は家事をとる」

と、反論(1993年9月21日「読売新聞」東京夕刊)。

亜細亜大学の一芸一能入試は、2023年現在も存続しています。

広末涼子の早稲田進学・中退で批判が強まる

芸能人の大学進学が批判的に見られるようになったのが、1998年、人気アイドルだった広末涼子さんの早稲田大学教育学部の自己推薦入試受験です。入試直前にメディアで報じられると、受験当日は野次馬200人が受験会場に集結(1998年11月23日「スポーツニッポン」)。合格発表日にはワイドショーが中継するなど、大きく注目されます。

早稲田大学に初登校し、学生らに取り囲まれる女優の広末涼子さん(=1999年6月26日、東京・新宿区の早大正門前で)
写真=時事通信フォト
早稲田大学に初登校し、学生らに取り囲まれる女優の広末涼子さん(=1999年6月26日、東京・新宿区の早大正門前で)

一方で、合否判定が曖昧であり、広告塔として簡単に入学させたのではないか、との批判も強くありました。付言しますと、出願資格として、評定平均値が4.0以上でしたので、決してザル入試だったわけではありません。広末さんは合格、1999年に入学しますが、入学式は欠席。初登校は出演ドラマの撮影などが落ち着いた6月でした。

その後も、授業の出席はほとんどできず、2003年に自主退学します。大きく注目された分、その反動から、強く批判されることになりました。この広末さんの早稲田大学進学・中退は芸能人の大学進学批判の源流となりました。