富士通のDNAは“とにかくやってみる”
「京」の開発は、富士通に脈々と受け継がれてきた“DNA”の物語でもある。
12年1月17日、“国士”とも呼ばれた富士通中興の祖の一人、山本卓眞元社長が86年の生涯を閉じた。特攻隊の生き残りで、49年、東京大学第二工学部電気工学科を卒業した山本が、就職先として選んだのは、富士通信機製造(現・富士通)だった。当時、全くの無名会社が国産コンピュータの製作に挑むきっかけを、山本は次のように記している。
《「リレー(電磁石を使ったスイッチ)を素子にしたコンピュータを開発して東証(東京証券取引所)に売り込む。IBMやレミントンは、PCSを売り込もうとしているが、負けない製品を作ってくれ」。いきなり、「コンピュータを作れ」と言われて、とにかくびっくりした(中略)。並みいる日本の大企業がいまだに手をつけたこともないコンピュータ開発という大仕事を一体どうやって3人でやるのか、唖然とする思いだった》
(※レミントン=事務機メーカーのレミントンランドで、現在のユニシス社。PCS=パンチカードシステム)
このくだりは、入社3年目の山本が当時、開発課の課長に過ぎなかった小林大祐(後の富士通社長)から呼ばれ、コンピュータ開発を命じられたときのことで、その様子を『私の履歴書』(日本経済新聞社)で振り返ったものだ。山本自身が“唖然とした”と振り返っているように、当時、富士通にはコンピュータの実績など皆無だった。現在の富士通の標語「shaping tomorrow with you」(夢を形に)は戦後、富士通がコンピュータの世界に挑んだ“夢を形にする”という強い思いに通じるものだ。“とにかくやってみる”精神が、冒頭に山本正已社長が言及した“富士通のDNA”なのだろう。
では、スパコンを使ってユーザーにどのようなソリューションを提供できるか。富士通テクニカルコンピューティングソリューション事業本部長、山田昌彦が率いる事業部は、その先兵となる部隊である。小惑星探査機「はやぶさ」。映画でも広く知られるこの探査機の軌道計算を担ったのは、山田たちが納めたシステムである。さらに、毎日の生活に密着した気象庁の気象情報システム「アメダス」のシステムも、富士通が作ったものだ。
山田がこの事業本部の本部長となって、2012年で4年。そして、ここ2年間は自分でも驚くほどの海外出張をこなしてきた。
タイの科学技術省へ飛んだかと思えば、シンガポールの科学技術庁へ顔を出す。そしてあるときには、山田の姿は、中東サウジアラビアの首都リヤドにあった。
世界を飛び回る山田だが、驚かされるのは、顧客の多くが“飛び込み営業”で獲得したものということだ。本部長自ら、アポイントなしで出かけていき、富士通の製品を売り込む。野武士とも称される富士通の、これもまたDNAか。
けれども、勝算がなければ、無謀な飛び込み営業などするわけもない。山田の懐には、相手が“食いつく”餌、興味をそそられる武器が隠されていた。それが世界一のスパコンなのである。
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時