「歩きたばこ」とは用法が違う

例えば、「歩きながらたばこを吸うこと」は、「たばこを吸うこと」に焦点が当たっているので「歩きたばこ」になりますし、「立ち読み」「立ち食い」なども「立ったまま読む」「立ったまま食べる」と、うしろに来る動詞である、読むこと、食べることに焦点が当たっています。

しかし、最近、街なかやイベント会場などで、テイクアウトして歩きながら食べられるスナック類やお菓子が注目され、「食べ歩きにおすすめのスナック」などと言われることがあります。ここでなされている行動は「歩きながら食べる」ということであり、焦点が「食べる」ことにあると考えれば、「歩き食べ」とでもすべきところでしょう。『日本国語大辞典第二版』を調べると、本来の「食べ歩き」「食べ歩く」ということばについては、戦前・戦中に使われた用例が載っています。

NHK日本語発音アクセント辞典』(NHK出版)には、1985年発行版に初めて立項され、旅やグルメの特集記事や番組を通して、すっかりおなじみのことばとなりました。そして現在、昔は行儀が悪いと敬遠された「歩きながら食べること」が一つのスタイルとして流行するのに合わせて、耳慣れている「食べ歩き」に新しい意味を持たせて使うようになったのでしょう。

観光地によっては、従来の「食べ歩き」をすることは歓迎しつつも、衛生面の配慮から「歩きながら食べること」(つまり「歩き食べ」)は禁止しているところもあります。やむを得ず新しい意味でこの語を使うときは、誤解や混乱を招かないように、言い添えや前後の文脈を工夫することが必要です。(滝島雅子)

「明暗を分ける」と同じ意味だと思っている人も

【悲喜こもごも】
Q.選挙や、入試の合格発表のニュース番組で「(当選した人、落選した人)(合格した人、不合格だった人)、悲喜こもごもです」などと伝えることがあります。このような場合には、「悲喜こもごも」という言い方はしないのではないでしょうか。
A.そのとおりです。「悲喜こもごも」は、一人の人間の心境について用いるのが伝統的語法です。複数の人たちの感情・心境について同時に言う場合には「悲喜こもごも」は使いません。

「悲喜こもごも」は、喜びと悲しみが一度にあるいは交互に訪れた一人の人間の心境について用いるのが伝統的な語法です。

×(試験に)合格した人、不合格だった人、悲喜こもごもの光景でした。
×(選挙に)当選した人、落選した人、悲喜こもごもでした。

右記のように、喜ぶ人や悲しむ人が入り交じっている様子を「悲喜こもごも」と表現するのは本来の言い方ではありません。このような場合には、「明暗を分ける」「喜ぶ人、悲しむ人、いつもながらの光景(情景)……」などといった言い方があります。