「悲しみと喜びが入り乱れる」という意味ではない

この語の誤用が目立つためか、国語辞典の中には語釈の後に「補説」として次のように記しているものもあります。〈一人の人間が喜びと悲しみを味わうことであり、「悲喜交々の当落発表」のように「喜ぶ人と悲しむ人が入り乱れる」の意で使うのは誤り。〉(『大辞泉第二版』小学館)

フィールドで白い服を着た美しい長い髪の女の子の肖像画
写真=iStock.com/Galina Zhigalova
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私も新人記者時代に、ある地方都市で初めて高校の入学試験の合格発表を取材した際、「発表の掲示板を見て、飛び上がって大喜びする者、ガックリと肩を落として立ち去る者、いつもながらの悲喜こもごもの光景でした。」と原稿を書いたら「この書き方は間違っているぞ」と上司に叱られたことがあります。(豊島秀雄)

「通り一辺倒」は二つの言葉が混ざっている

【通り一遍倒】
Q.「選択肢は“通り一辺倒”ではないんだ」という表現はおかしいですか? 言いたいのは「選択肢は一つではない」という内容です。
A.この表現には2つ問題点があります。まず、「通り一辺倒」という言い方についてです。これは、「通り一遍(※1)」と「一辺倒」ということばがまざってしまったものでしょう。また、言いたい内容から考えると、「通り一遍」も「一辺倒」も使わず、「選択肢は一つではない」でいい場面です。

「通り一辺倒」を、インターネットで検索すると「通り一辺倒な対応」「通り一辺倒なボディーソープ」などの例が見られます。「うわべだけの」または「ふつうの」というような意味合いで使われているようです。「うわべだけの」という意味から考えて、「通り一遍」ということばを間違えて、響きが似ている「一辺倒」とまぜて使ってしまっているのではないでしょうか。

「通り一遍」は、「通り」の「通行・通過」という意味に、「一回」「一度」という意味の「一遍」が結びついた語です。もともと、「通りがかりに立ち寄った客で、平素からの馴染なじみでないこと」(『日本国語大辞典第二版』)という意味の語でした。これが「うわべの形だけであること」に転じたものです。

一方、「一辺倒」は、一つの辺に片寄るということから、ある一方だけに傾倒することという意味で使われます。例えば、「洋酒だけを飲む」というような場合に「洋酒一辺倒」などと使います。

(※1)NHKの表記は「通りいっぺん」。本項の説明では、語の意味を伝える必要があるため漢字表記とした。