民間捜索隊にだから話せることを少しずつ教えてもらう

この時期は、とにかくご家族の話に耳を傾けることが最も大切だ。まず、要望を受け止める。話を聞くことで動揺や不安が少しでも和らぐよう努めている。遭難当初の捜索活動は公的機関によって行われるため、警察官から事情を聞かれたりすることが多いが、警察と家族の間だからこそ、話しづらいこともある。

そうした時には、私たちのような第三者が話を聞くことで、少し気持ちが楽になる場合もあるようだ。捜索隊の立場からすれば、遭難者のことを少しでも多く知りたい。こちらから急かしたり、聞きただすような態度にならないよう慎重に、タイミングを見て少しずつ遭難者の情報を教えてもらう。

だからこそ私は現場に行かず、ご家族と常に連絡を取れるようにすることが多い。どんな小さなことでも、何か疑問が生じた時にすぐに答えてくれる人がそばにいた方が、ご家族も安心するはずだ。

遺体が見つかるまで続く「生きているかも」という希望

また、今まで経験したことのない危機的状況とストレスから、極限状態に陥ってしまって眠ることもできない、というご家族がほとんどである。食事や睡眠が取れないと、人はどんどん判断能力を奪われる。「捜索は私たちに任せて、今日はどうかお休みください」とお伝えするが、やはり一睡もできなかった……という方も多い。

この時期、警察や私たちに強い言葉を発してくるご家族もいる。「家族が遭難した」という特異な状況がそうさせてしまっているのだ。ご家族の心境を受け入れながら信頼関係を少しずつ構築していくことが、その後の捜索活動には非常に重要になる。

遭難発覚直後の動揺から少し時間が経つと、次にやってくるのは否認や怒りという感情だ。「なんで帰ってこないの? 私たち家族はこんなにも苦しい思いを強いられているのに?」と考えるようになる。こうした気持ちは、ご家族内で落ち着かせることができるケースもあれば、私たちへ気持ちを吐露することで乗り越える方もいる。

こういった段階を経て、ご家族は遭難者が帰ってこないということ、そして、それは山で行方不明になっているから、という事実を受け入れようとする。

確かに、「亡くなっていたとしても、身体だけは帰ってきてほしい」と言うご家族もいる。この言葉だけ聞くと、家族の「死」まで受け入れているようにみえるが、やはり、ご遺体が見つかるまで、ご家族の多くは「どこかで生きていてほしい」という希望を持ち続けていることの方が多い。なぜなら、見つからないということは「もしかしたらこの山には行っていないのかもしれない」「どこかで元気に生活しているかもしれない」という可能性にもつながるからだ。