孫に高いランドセルを買ってはいけない理由

・孫に見栄を張らない

60代半ばになったら、子どもや孫との付き合い方も見直したいものです(50代で、もうお孫さんがいる人もいるでしょうし、70代ではじめてお孫さんができる人もいるでしょうが……)。

たとえば、お孫さんが小学校に入学した時に、お祝いに数十万円も渡してしまう人がいます。

これは、双方にとってやっかいで、危険なことです。大金持ちならいいですよ。何億も持っている人ならば、ポンと数十万円渡してもいいと思うんですけれど、ふつうの人が70代になって、自分の老後の資金も心配なのに、見栄を張って数十万円も渡す。

本当はお金がないんだけど、見栄を張っているわけです。しかしこれは、自分の生活の首も絞めるし、相手にとっても気を使わせるだけです。これは、年寄りの承認欲求の表れですね。

ランドセルもそうです。今、ものすごく高いランドセルが売られていますね。お金がないのに見栄を張って高いランドセルを買い与える人もいます。

孫に「おじいちゃん、おばあちゃん、スゴイね」と思われたいわけです。しかし、1回これをやってしまうと、何か欲しくなったら、おじいちゃん、おばあちゃんに言えば買ってくれるんだと、悪い習慣をつけるだけです。モノを欲しがる悪い欲望を駆り立てるだけです。

その後も中学入学だから、高校入学だからと、金銭的な援助をその都度求めるようになる。ゲームが欲しくなったら、「おじいちゃん、おばあちゃん買って」と求めるようになる。親としては、わがままな子にしたくないということで、もうこれ以上、モノを買い与えたくない。

けれども、おじいちゃん、おばあちゃんが買うから、子どもの欲望にコントロールがきかないと困っている親御さんも多いんですね。

それに気付かずに、お孫さんに喜んでほしいから、どんどんモノを買い与えてしまう。しかも自分のなけなしの老後資金を減らしている。これは、やめたほうがいいです。

本当にお金がなくなったら、自分のお子さんに「ごめん。私、もう生活できない。なんとかして」と泣きつく。これこそホントの迷惑です。

お年玉は「1人3000円」でいい

なので、60代、70代は自分で自分の生活資金をちゃんと管理する。そのためにも、ヘンに孫に見栄を張って大金を渡したりしないことが大事です。

お年玉なんかも同様です。あらかじめ「1人3000円ね」と言って、渡すことが大事です。たとえば、去年まで、1人1万円あげていた。けれども、70歳になって老後資金が底を尽き始めたというときには、正直に「ごめんね。おじいちゃんね、今、生活が苦しいんだ。去年まで1万円だったけれど、今年から3000円でごめんね」と言って正直に伝えるほうがいい。

これを「自己開示」と言います。自分の弱い姿をおじいちゃん、おばあちゃんが正直に見せることがお子さんやお孫さんの教育にとって重要になってきます。

見栄を張るのがカッコイイわけじゃないんですね。見栄を張らずに、自分の弱い姿を正直にさらすのが、人間としてカッコイイ。そういう姿を見せることです。

もしそれで子どもや孫が離れていくくらいだったら、離れてOKだと考えましょう。そんな子どもや孫は寄りつかなくてOK。お金目当てに寄ってくる子どもや孫は要らない。そんな姿勢でいいのではないでしょうか。

諸富祥彦『50代からは3年単位で生きなさい』(河出書房新社)
諸富祥彦『50代からは3年単位で生きなさい』(河出書房新社)

私は、まだ孫はいませんけれど、もし孫ができたとしたら、正直に、「ごめん。今お金がないから、今年のお年玉は1000円にまけて。1日の食事代、1000円で暮らしているんだ」と正直に言えるおじいちゃんになりたいと思います。

見栄を張らず、自分の弱みをちゃんとさらすことができるおじいちゃん、おばあちゃんがカッコイイ。そういう姿を見て、お孫さんも、立派に育っていくんだと思います。

余計な人、余計なモノ、余計な人間関係。そして、何より見栄と世間体、承認と自尊の欲求。これらを55歳から70歳くらいまでに少しずつ、少しずつ見直していきましょう。解約し、手放し、捨てていきましょう。本当に大事なものを大事にできる人生につながっていくはずです。

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