秘密通信を解読した「ヴェノナ文書」

ロシア政府の情報公開を契機に、米国の国家安全保障局(NSA)も1995年、戦前から戦中にかけて在米のソ連のスパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した「ヴェノナ文書」を公開した。

その結果、戦前、日本を追い詰めた米国のルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連のスパイ、工作員が多数潜り込み、米国の対外政策に大きな影響を与えていたことが立証されつつある。

立証されつつあると表現しているのは、公開された機密文書は膨大であり、その研究はまだ進行中だからだ。

誤解しないでほしいのは、第二次世界大戦当時、米国がソ連と連携しようとしたこと自体が問題だったと批判しているわけではない。

第二次世界大戦の後半、ナチス・ドイツを打倒するため、米国はソ連を同盟国として扱うようになった。敵の敵は味方なのだ。共産主義には賛同するつもりはないが、目の前の敵、ナチス・ドイツを倒すために、ソ連と組むしか選択肢はなかった。

なぜソ連のアジア進出を容認したのか

問題は、戦後処理なのだ。ルーズヴェルト政権は、ソ連のスターリンと組んで国際連合を創設し、戦後の国際秩序を構築しようとした。その交渉過程の中で1945年2月、ヤルタ会談においてルーズヴェルト大統領はこともあろうに東欧とアジアの一部をソ連の影響下に置くことを容認した。このヤルタの密約のせいで終戦間際、アジアにソ連軍が進出し、中国共産党政権と北朝鮮が樹立されたわけだ。

「なぜルーズヴェルト大統領は、ソ連のアジア進出、アジアの共産化を容認したのか。それは、ルーズヴェルト民主党政権の内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員が暗躍していたからではないのか」

多くの機密文書が公開され、研究が進んだことで、こうした疑問が米国の国際政治、歴史、外交の専門家たちの間で浮上してきている。

ソ連・コミンテルンは、相手の政府やマスコミ、労働組合などにスパイや工作員を送り込み、背後からその国を操る秘密工作を重視してきた。この秘密工作を専門用語で「影響力工作」という。