これから個人の力がさらに強く求められる
朝日新聞自体は新聞社の中でも自由に発信をできる会社でもあります。SNSもほぼほぼ制約なく使えます。そこで育った発信力は、これからの時代、新聞社にとっても大きな力になるはずです。退職した記者がジャーナリストとして活躍することは、在職する記者のモチベーションにつながります(そうでない嫉妬深い人もいるかもしれませんが)。
ケチなことを言わずに、もっと大きく構えてはいかがでしょうか。そのことが報道機関としての会社の将来に寄与するでしょう。
ここで、少しジャーナリズムの未来の話をさせてください。
ぼく自身、ジャーナリズムを次の時代にどうやって残していくのか、という課題に取り組んでいます。いろいろ試行錯誤する中で、明確に感じていることがあります。それはジャーナリズムはこれから個人の力がさらに強く求められるようになるということです。
メディアのビジネスモデルは変わり続けています。新聞にしろ、テレビにしろ、雑誌にしろ、配信の独占、優位性というこれまでの利潤の源泉に依拠することはできなくなり、デジタル世界のフラットな市場での競争にさらされています。
いまの大きな組織の力は弱くなるでしょう。「新聞社に入ったから」、「新聞記者になったから」といって、自由に取材活動をし、十分な給料がもらえるという、これまでのような働き方は難しいかもしれません。
専門家の集合体をつくれば、新聞社は強くなる
一方で、記者という仕事をクリエイターとして捉えれば、それはまた不思議なことではありません。漫画家にしろ、音楽家にしろ、毎日の生活に大変な方がいる一方で、トップクラスの成功をおさめた方もいます。それがクリエイティブの競争ということでもあります。
実際、ジャーナリストの中から、これまでとは違った成功例も出ています。2022年4月に日経新聞から独立した後藤達也さんは、7月のスタートから5カ月の間にnoteで2万人以上の有料会員を集めています。
さらにはAIの時代になれば、中途半端な書き手やありきたりの分析はとって変わられてしまうでしょう。一方で、専門家として仮説をたてるための直感や、小さな問題疑問を感じる力、これまでデータ化されていない事象を取材していくジャーナリストの役割は必要とされます。厳しい時代ですが、個人の力が問われます。
そして、そういう専門家の集合体をつくることができれば、新聞社は強くなります。新しい時代に生き残る力になります。
だからこそ、個人のジャーナリストとしての力を伸ばしていくことが、必要になります。
今後、汎用性のあるニュースや速報などはAIで生成可能になり、値段は暴落していくかもしれません。一方で、専門性のあるジャーナリストがその感性をもとに問いをたて、深い専門性をもって掘り下げていく記事、調査報道の価値はより重要になってくるでしょう。