※本稿は、五木寛之『うらやましいボケかた』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
いちいち手洗いする習慣がまるでなかった
コロナの蔓延とともに、個人的な新しい習慣が身についてしまった。
たとえば手洗いである。ふつうは当り前のようになっているマナーだが、私にとっては革命的な習慣である。
私は子供の頃から、あまり手を洗うことがなかったのだ。戦時下に育った人間は、おおむね常識的な生活習慣が身についていないのである。
匍匐前進だの、防空壕掘りだのと手を汚す仕事に追われる日常だったのだ。いちいち食事前に手なんぞ洗ってはいられない少国民の日常だった。
そのかわり、三八式歩兵銃の磨き方は教練の時間に教わった。食糧不足の時代だったから、手づかみでものを食べるような暮らしだったのである。
子供の頃、私が住んでいたのは和洋折衷の簡素な一戸建て住宅だった。父の仕事の関係で、転勤するたびに官舎をかわることになる。
それでも一応、廊下の突き当りにトイレがあり、その脇にはきまって南天の植込みがあった。その横に、手洗い器というか、何というか忘れたのだが、ブリキの水洗器がぶらさがっている。手を押し当てると、水が出てくる簡単な仕掛けである。
「どうして手を洗うの?」「汚いからよ」「どっちが?」
「オシッコのとき、ちゃんと手を洗ってる?」
と、母親が私にたずねたことがある。
「うん」と、噓の返事をしながら、
「でも、どうして手を洗うの?」
「汚いからよ」
「どっちが?」
「どっちが、って?」
「わからない」
子供の私の疑問は、大事なオチンチンに触るから事前に手を洗うのか、それとも、オチンチンは汚いものだから後で手を洗うのか、ということだった。
そんな理屈を言っても変な子だと思われるだけだろうと、そのときは黙っていた。だが、その疑問はこの歳になっても私の中にわだかまっている。
どうやら、手を洗う、という事に意識下の反撥があるらしいのだ。
だから大人になっても、ほとんど手洗いということが身につかなかった。外から帰ってきたときも、食事の前も、ちゃんと手を洗ったことは、ほとんどなかったように思う。