飲み会の仕切りが悪い「軍団」後輩には厳しくあたった

先輩の誕生日会の幹事は、それには格好の機会だった。

先輩も後輩も楽しんでいる中、司会も裏方もやって、「できる自分」を見せつけた。本心ではカッコ悪いと思いつつも、僕はやり続けた。売れている後輩になめられたくなかったから。

友人とのディナーパーティーでシャンパンのボトルを開ける若者
写真=iStock.com/Goodboy Picture Company
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それでも、僕を慕ってくれる後輩もいた。

僕はこの「入江軍団」を大きくするのに必死になった。

ただ大きくするだけじゃない。僕の後輩なら、本や講演会で僕が提唱する「理想の後輩」としての在り方を完璧に実践してもらわなければならなかった。

飲み会での動き、注文の仕方、おいしいものを食べたときのリアクション、おごってもらった後のお礼の仕方、翌日のLINEでのお礼の仕方……すべてにおいて厳しく注文をつけた。

それができない後輩は許せなかった。

「全部、俺が実際にやってきたことだよ。俺にできて、なんでお前にできないんだよ」
「お前はネタで笑いをとるタイプの芸人じゃない。だから俺といるんだろ。仕事がほしいなら、俺と同じようにしろよ」

自分の意見を一方的に押し付けた。

見かねた先輩たちに「入江がやってきたことは入江にしかできないんだから、人に押し付けるな」と注意されても、その意味がわからなかった。

企業の飲み会に呼ばれたときに見せる、「若手社員のいいお手本になります」と喜ばれた僕らの阿吽の呼吸は、そうやって無理やりにつくられたものだった。

自分に足りないものをブランド品で補いたかった

この頃の僕は高級時計をはじめ、いかにもなハイブランドのファッションに身を包むようになっていた。

有名人と一緒にいて、その人と同じようなファッションをしていると、自分もすごい人になっているような気がした。

有名人とは四六時中、一緒にいることはできないが、ブランド品は一緒にいてくれる。

芸人でいるためには、人脈以外のものが必要だった。カッコ悪い自分を守る鎧のようなものがブランド品だった。

僕は自分に足りないものを自分で補うことを忘れ、人やモノに依存するようになっていた。

芸人でいるためではなく、少しでも自分を優位に立たせたい、大きく見せたいという、歪んだプライドが生み出した発想だったかもしれない。

矢部だけでなく、先輩にも同期にも後輩にも、周りの誰に対しても、スキあらばマウントを取ろうとした。自分のことを認めてほしかった。