悠仁さまは、皇位継承順位2位にある。若い世代では唯一の皇位継承者だ。天皇陛下が幼いころから「帝王学」を身につけていったように、悠仁さまも幼いころから、学びを続けている。

たとえば、天皇陛下が浩宮と呼ばれていた10代のころ。12歳の誕生日前に、漢学の権威である宇野哲人・東京大学名誉教授に『論語』を学んでいる写真や、15歳の誕生日前に王朝和歌の研究者である橋本不美男・宮内庁図書調査官から『徒然草』の写本の講義を受けている写真が残っている。

浩宮時代の陛下は、学習院高等科で地理研究会に所属していた。友人らと岩手県の八幡平に登山に行った際などは、現地の風景や友人らとの旅行を和歌に詠みこんでいる。その和歌は、ご自身で英訳を添えてオーストラリアにいる友人にあてて手紙で送られた。10代にして教養の深さがにじむエピソードだ。

天皇陛下が昔から一貫して口にしていた言葉がある。

幼いころから背中を見てきた昭和天皇や上皇さまのように、

「自分の足で現地に行き、自分の言葉でじかに、人びとと話をすることを大事にしたい」

悠仁さまも同じだ。

幼いころから、当時天皇であった上皇さまとの時間を過ごし、その背中を見て育ってきた。

2歳のときから、葉山御用邸(神奈川県)に滞在すると、昭和天皇がお使いだった二挺艪ちょうろの和船「たけ」で海に出ていた。和船の艪を漕いでいたのは上皇さまだった。

秋篠宮ご夫妻もまた、幼い悠仁さまに日本各地の自然や人に触れ文化を学ぶ機会を積んできた。

秋篠宮さまは、家禽かきん類の研究で理学博士号を取得している。悠仁さまも幼いころから図鑑を熱心に読み、皇居でも池のまわりのトンボの観察や虫捕りに熱中した。ときには、当時天皇であった上皇さまと一緒に虫を捕まえたこともあった。秋篠宮さまが幼いころに上皇さまからもらった『原色 前世紀の生物』(1962年刊行)は、いまは悠仁さまの手元にある。

悠仁さまが5歳の夏には、北海道を訪問。自然に触れるとともに、アイヌ文化を学んだ。7歳の冬には、沖縄に行き、沖縄や九州の在来家畜の与那国馬や島ヒージャー(ヤギ)、口之島牛に触れ合う経験もした。