日本バッシングの歴史が復活のヒントになる

いっこうに上がらない賃金、成長の兆しが見えないGDP……、日本経済の先行きはいまだに希望が持てないままだ。だが、日本経済がこうした不調に陥った原因を振り返ってみれば、いまこそ再生の時かもしれない。

なぜなら、中国が経済的・政治的なパワーを増す中で、日本「パ」ッシング(日本への無関心)が生じていることが、日本にとってかつてない商機にもなりうるためだ。その背景には、これまで日本が受け続けてきた日本「バ」ッシング(日本叩き)の歴史がある。

ただし、今後の日本経済が自動的に復活するわけではない。日本が豊かさを再び取り戻すためには、①我々一人ひとりが取り組む「価値創造の民主化」、②政府にしか取り組めない「価値創造の国造り」、という二段階の意識変換が必要不可欠だ。

東京タワー
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ソ連に次ぐ仮想敵国と言われた時代があった

平成元年ごろまでの日本は、アメリカにとって、ソ連に次ぐ仮想敵国とさえ言われていた。もちろん、軍事的には戦後の日本はアメリカと同盟関係にある。だが、戦後の日本企業の大躍進による日米貿易摩擦は、日米「経済戦争」と表現されるまでに高まっていた。しかも、この経済戦争において日本はアメリカに圧勝した。戦後から2000年ごろまで、アメリカにとって最大の貿易赤字相手は日本であった。

こうした状況をアメリカが見過ごすはずはない。アメリカ主導の「国際協調」によって、日本の産業の競争力は何度も叩き潰されてきた。その代表的な例が、1985年のプラザ合意である。プラザ合意では、アメリカの呼びかけによって、イギリス、フランス、西ドイツ、日本は協調して円高・ドル安を目指すことに決まった。

円高・ドル安は日本で生産活動をおこなう企業にとって、(海外部品調達費等以外の)国際的な生産コストの増加を意味し、輸出が不利になる。それにより、当然ながら日本経済には打撃が見込まれる。しかし、日本政府は、アメリカ政府との関係改善や国際協調のために、喜んで円高・ドル安に協力した(岡本勉『1985年の無条件降伏』)。