球団経営は親会社の広告宣伝費

これに対し、NPB球団は1935年、ベーブ・ルースなど大リーグ選手一行が来日して日米野球を行い、興行的に成功したことを契機として、讀賣新聞社の正力松太郎が職業野球リーグの創設したのが始まりだ。

1936年、7球団でペナントレースが始まった。しかし、各球団の収益性は低く、親会社が全面的に支援することが前提だった。

戦後、プロ野球人気の高まりとともに、参入を希望する企業が増加し、1950年にはセントラル、パシフィックの2リーグ分立となる。NPBの球団は親会社の企業名+ニックネームが一般的だ。企業名だけでなく地域名を表示する球団もあるが、基本的に「親会社あってのプロ野球」が球団名にも表れている。

新聞、鉄道、映画などの企業が親会社になったが、チームの収益は期待していなかった。

1954年8月10日付で国税庁は「職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について」という通達を出し、プロ野球球団の親会社が、球団の赤字を補塡した場合、それを「広告宣伝費の性質を有するもの」とした。これによって、親会社は球団の損失補塡をしやすくなった。

1960年代に入ってテレビの「巨人戦ナイター」が視聴率を稼ぐコンテンツになり、巨人および巨人戦があるセ・リーグの球団は「放映権ビジネス」で収益を上げるようになるが、パ・リーグの球団は依然として親会社の「損失補塡」によって存続してきた。

いまだ親会社の脛を齧る体質

21世紀に入って「巨人戦ナイター」の視聴率が急落し、地上波での放送が激減したが、2005年の「球界再編」を機にMLB流の地域の顧客に向けて重点的にマーケティングをする「ボールパーク構想」が広がり、NPB球団の業績は改善した。

コロナ直前の2019年には、史上最多の2653万6962人を動員、多くの球団が収益を上げた。

しかしながら2020年以降のコロナ禍では観客動員は2020年482万3578人、2021年784万773人と大きく落ち込んだ。感染症対策が緩和された2107万1180人と回復したが、大変厳しい状況となった。

筆者は2021年秋に3球団の運営担当者に「コロナ禍で、球団経営をどのように切り盛りしたか」と質問したが、全員が「親会社からの支援で糊口をしのいだ」と答えた。1954年の国税庁通達が、70年近くたっても生きていたのだ。