日銀総裁交代での関心は「アベノミクス」だけではない
10年ぶりとなる日銀総裁の交代が近づいている。岸田政権は2月、黒田東彦総裁の後任候補に、元日銀政策委員で経済学者の植田和男氏を充てるなどとした正副総裁の人事案を国会に提示。人事案は3月10日に国会で同意され、植田氏は来月にも就任する見通しだ。
日銀総裁人事の関心は、ほぼ次の1点に集約されている。第2次安倍政権以降の自民党政権が掲げてきた「アベノミクス」の最大の柱であった「異次元の金融緩和」を今後も維持するのか、見直すのか。つまりは「アベノミクスから脱却するのか、しないのか」ということだ。
そのことはもちろん理解する。ただ「アベノミクスからの脱却か否か」という話を、単なる政策論としてのみ語ることには、ある種の違和感を拭えない。
安倍政権は日銀を力でねじ伏せてきた
仮に「異次元の金融緩和」という経済政策が正しかったとする(筆者にはそうは思えないが)。もし正しかったとするならば、そのために安倍政権以降の自民党政権がとってきた対日銀の姿勢、有り体に言えば「日銀を政府のいいように、好き勝手に動かした」ことまで、すべて「正しかった」と言っていいものなのか。
第2次安倍政権以降10年以上にわたり自民党政権の各所でみられる「政府からの独立性を強く求められてきた機関を、政権が力でねじ伏せて異論を封じる政治」を見直すのかどうか。それは「アベノミクスからの脱却か否か」という政策論とは似て非なるものであり、そして筆者としては、そちらの方がはるかに気にかかる。