『源氏物語』は女性の心理を追体験できる

日本の作品ではやはり紫式部の『源氏物語』は外せません。日本文学の最高峰として世界的に評価されている『源氏物語』は、平安時代に生まれた文学作品ですが、世界最古の長編小説であるだけではなく、真の「世界文学」(ゲーテ)です。

源氏物語絵巻
源氏物語絵巻(画像=https://www.metmuseum.org/art/collection/search/44958/CC-Zero/Wikimedia Commons

幼い時期に母を亡くした主人公の光源氏は、人妻との恋、それも自分の父である天皇の後妻と交わります。亡き母に生き写しの義母の藤壺を恋い慕うようになり、この道ならぬ恋の行方がこの長編の縦糸になっています。さらに光源氏は、藤壺に生き写しの少女紫上を理想の妻に仕立て上げます。

そこに物語の横糸として、空蝉、夕顔、明石上、女三宮たちとの恋愛模様が交わります。『源氏物語』は、それぞれの巻に「夕顔」や「若紫」といった名前が付いていますが、これらはすべて女性の名前です。つまり1巻ごとに女性の生き方が吹き込まれており、異なる女性の心理を追体験できるのです。

作者の紫式部は、女性の視点から一人ひとりの人物を描き分け、登場人物たちの心が、まるで雲が移動するようにスルスルと動いていく様を描いています。女性の気持ちを想像するという点では、これ以上ないテキストだと思います。

平安時代の貴族社会を描いた『源氏物語』の世界は、現代とは大きく異なりますが、主人公の光源氏に愛される女性の喜び、他の女性のもとに去られる悲しみや痛みなどは、現代にも通じる感情でしょう。そうした女性の喜怒哀楽のすべてが『源氏物語』には描かれているのです。

『罪と罰』で殺人者の心理を疑似体験する

体験できないのは、異なる性だけではありません。物騒な話ですが、人を殺すという経験も現実世界ではできません。しかし痛ましい事件が後を絶たないのも事実です。そうした被害者、加害者に少しでも寄り添うためにも、小説は役に立ちます。

このテーマにおいて、ロシアの作家ドストエフスキーの『罪と罰』はやはり必読です。主人公である貧しい学生のラスコーリニコフが、独自の犯罪哲学によって高利貸しの老婆を殺して財産を奪うのですが、その時、誤ってその妹も殺してしまったことにより、罪の意識にさいなまれるという話です。

私は、この本にのめり込んだ後、自分が人を殺してしまい、どうしようもなくなっている夢を見ました。夢から覚めた時に、本当に殺人を犯したかのように、激しい動悸どうきが止まらず、まさに人を殺すこととは、これほど精神的に追い込まれるのだと、実感として分かったような気がしました。