1年で仕事が激減し、ソープとAVを掛け持ち

平塚里奈はしばらく企画単体として活動し、だんだんと仕事は減っていく。最初の撮影から1年後には依頼はほとんどなくなって、自分のお小遣いくらいは稼ごうと派遣のアルバイトを始めていた。

丸々1カ月何もない月とか、脱ぎだけで絡みなしの仕事が増えて、全然稼げなくなった。お金がないってタイミングでプロダクションの社長から、「吉原で働いてみない?」って言われた。
知り合いのお店がリニューアルオープンするみたいで、女の子が必要だって。風俗嬢もやってみたいと思っていたので吉原のソープ嬢になって、AV女優と掛け持ちでやりました。高級店だったので1日8時間で8万円くらいは稼げた。

AVプロダクションは、高級ソープランドやキャバクラを経営していたり、提携していたりする。AV女優は性風俗の世界ではブランドなので高単価で売ることができる。

店が儲かる、客が喜ぶ、女性は収入が安定すると、性風俗の多角経営はいいこと尽くめである。

平塚里奈はAV女優とソープランドの掛け持ちで忙しくなり、就職活動はしなかった。ソープランドで安定して稼げるようになったので、実家を出て都内でひとり暮らしを始めている。

あまり高いところに住むと、親に仕事のことがバレちゃう。最初は西武新宿線沿線の家賃6万円の部屋にしました。大学を卒業してからは、親には派遣で働いていることにした。しばらくプロダクション所属とソープランドのダブルワークを続けました。

ツイッターで“DMを希望”して同人AVの道へ

ソープランドで働き出して、収入は安定したが、AV女優の仕事はまったくなくなった。そして2014年、2年間所属した大手プロダクションを辞めている。

その後、1年間のブランクを空けて最大手プロダクションに移籍する。

最初のプロダクションで仕事がなくなったのと、紹介されたソープを辞めたかった。ソープは仕事がキツかった。乱暴な客がいて、何度も挿入されるのが痛かった。
プレイが激しめっていうか。一番キツかったのは挿入。大きい人がキツイ。AVだったら痛かったら、「ちょっと一旦止めてください」ってできるけど、風俗はできない。
自分で探した歌舞伎町の店舗型ヘルスで働いて、AVの最後のほうはエキストラばかり。そんな細かい仕事で日にちを押さえられるなら、風俗メインで働こうってなりました。
ソープランドを辞めて、プロダクションも辞めた。そこから1年近く経ってから、やっぱりまたAV女優をやりたいなと思って最大手プロダクションに移りました。

最大手プロダクションに移籍したとき、芸名を変えた。芸名を変えても、以前別なプロダクションで活躍した女優であることは誰でも分かる。企画単体扱いは難しく、企画モデルとしての所属となった。

最大手ではAVの仕事は少ししかなかった。最初からストリップの仕事を紹介されて、しばらくストリッパーをやった。
最大手プロダクションは撮影の仕事がなかったのと、ストリップが嫌で辞めました。踊りとかダンスがやりたいわけじゃなかったので、モチベーションが上がらなかった。
最大手でも仕事がないって分かったとき、プロダクションに頼っても難しいと思った。試しにフリーで活動してみようってツイッターアカウントを作って、“お仕事依頼はDMでお願いします”みたいなことを書いたら本当に仕事がたくさんきた。それが同人AVです。7年前なので2015年のことです。