1980年代に岡山県で発見された津寺遺跡は、用途がわからず「不思議な構造物」とされてきた。工学博士で元国土交通省港湾技術研究所部長の長野正孝さんは「近くには日本で4番目に大きい造山古墳がある。津寺遺跡は交易や水路維持のためにつくられた港湾施設で、そこから得られた浚渫土で巨大古墳がつくられたのだろう」という――。
※本稿は、長野正孝『古代史のテクノロジー』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
発掘当初は何が何だかわからなかった
岡山県岡山市には日本第4の大きさの造山古墳がある。この巨大な塚を築いたであろう港が見つかっていた。巨大古墳は例外なく河川・水路の傍にある。河川や海岸に堆積した土砂の浚渫を行ない、それを積み上げた結果、大王の古墳になったと私は今まで書いてきた。
古墳の土砂運搬には数多くの船と造成のためのシステムが必要である。この津寺遺跡にはそのシステムが見えるのである。現代に置き換えれば、関西国際空港の埋め立ての土採場から運搬、埋立(土砂投棄)に至るプロセスがわかるような施設であった。
その遺跡とは、おかしな河川の護岸があったと片付けられていた岡山市の津寺遺跡である。1980年代に岡山市津寺地区の山陽自動車道と中国横断自動車道の岡山ジャンクションの工事中に、古墳時代の終わりの頃から奈良時代と推定される不思議な遺跡が発見された。旧足守川の左岸に、長さ約90メートル、幅約5メートルにわたり6000本以上の杭が打ち込まれている水際の不思議な(群杭)構造物が見つかったのである。前例のない遺跡であった。