少子化対策は既にラストチャンスを逸している
そんな社会の変化のなかで、自民党はなおも「子どもは家庭が育てる」に凝り固まり、その「家族のかたち」さえも、極めて伝統的な家族像にこだわり続けてきた。選択的夫婦別姓や同性婚を認めていないのが良い例だ。
今月になって発覚した、荒井勝喜首相秘書官(更迭)の同性婚差別発言問題は、発言のきっかけとなった岸田首相(自民党総裁)自身の「社会が変わってしまう」という国会答弁と相まって、この党の認識を如実に表している。
そうやって、自民党が時代に取り残されたまま政権を維持し続けてきた間に、いわゆる団塊ジュニア世代は出産適齢期を過ぎた。少子化対策は事実上、ラストチャンスを逸している。
当時の自分たちが口を極めてののしり、ついにはちゃぶ台返しした民主党政権の「子ども手当の所得制限撤廃」に、今ごろになって食いついておいて「過去にとらわれず」などとうそぶいても遅いのだ。
所得制限を撤廃しても「家庭第一主義」は変わっていない
そして問題は、表向きは「所得制限撤廃」をうたったからといって、自民党自身が「家庭が第一」「世帯中心」思想を捨てたわけではない、ということだ。
所得制限撤廃について、少なくとも現時点で岸田首相の姿勢は冷たい。所得制限撤廃問題は、1月25日の衆院本会議で自民党の茂木敏充幹事長が突如ぶち上げたわけだが、岸田首相は30日の衆院予算委員会で「一つの意見だと認識している」と切って捨てた。
どう見ても岸田首相が「個人中心」の給付にかじを切っているとは、到底思えない。
筆者はしばしば、政権を争う二つの政治勢力が、それぞれの勢力のなかで「目指すべき社会像」を共有することの大切さを訴えてきた。個別の小さな政策の賛否だけに着目しても、その政策を支持する背景が全く違うのでは意味がないと考えるからだ。
例えば消費税減税とひとくちに言っても、弱者対策を大事にする人も、金持ち優遇を狙う人もいる。憲法改正といっても、緊急事態条項の導入を狙い行政の権限を肥大化させようとする人と、首相の解散権制約を目指し行政の権限を縛ろうとする人では、目指すべき社会像は真逆だろう。