子どもの頃は「いつもボロ雑巾のようだった」
ARTH創業者の高野由之(38歳)とは、いったい何者なのか。その秘密を探るべく、1月下旬、千葉県印西市にある高野の実家への帰省に同行した。
到着した家に入った瞬間に驚かされた。LOQUAT西伊豆を思わせる、リノベーションされた古民家が実家だったのだ。
「数年前に亡くなった父が建築家でした。私が幼い頃、父は脱サラして古民家のリノベーションを始めたんです。今のように、古民家再生のブームなどなく、時代の先駆けだったと思います」(高野)
そして高野の母、由紀子さん(74歳)は、陶芸家。そんな父母の元、4人兄弟の次男として生まれた高野。母・由紀子さんは「由之は子どもの頃は、釣りに夢中になるなど毎日遊び回っていて、いつもボロ雑巾のようでした」と振り返る。
そんな高野は、高校1、2年生の時は、家を出ても、学校には足が向かず、たびたび授業に遅刻。ギリギリ進級させてもらうといったありさまだった。しかし、当時、多忙だった母は、高野の生活ぶりに「気付いてもいなかった」と笑う。
“昭和型サラリーマン”も嫌いではなかったが…
“自由放任”で育てられた高野だが、もともと勉強は嫌いではなかった。高校3年生になると猛勉強を始め、京都大学経済学部に見事、現役合格して周囲を驚かせた。しかし、京大に入ってからはやはり勉強に打ち込むわけではなく、バックパッカーとして世界中を放浪したり、大阪の正道会館で空手の練習に打ち込んだりする毎日だった。
京大の3回生となり、就職活動の時期が迫ってくると、高野が志望したのは、外資系のコンサルティング会社。しかし成績などの問題から就職活動は失敗に終わり、結局、就職したのは国内の大手メーカーだった。
「配属されたのは、全国の販売会社を統轄してマネジメントする部署です。実態としては、販売店の人たちの接待が主な業務。休日はゴルフに草野球、平日は部の飲み会や接待。『駅伝大会で活躍できないと出世できないぞ』と上司から言われたことも(笑)。昔のドラマで見た昭和のサラリーマンの世界が今もあるんだと、びっくりしたことを覚えています」
接待などの仕事自体は決して嫌いではなかったというが、根本的な価値観の違いがあることを感じていたという。
結局、高野は、就職してから4年半で大手メーカーを退職。その後、別の2つの会社で、コンサルタントや、事業再生に携わった後、2015年、31歳の時に仲間数人とともに今の会社を立ち上げたのだ。