課題を絞り込み、その領域に全集中
浅木の軽自動車時代からの部下で、浅木がF1に戻る前に送り出した部下でもある田岸龍太郎は、当時から浅木のリーダーシップは変わっていないと話す。
「課題や、やらなければならない方向性などは、ともするといろいろな方向に枝分かれしていくものです。そういうときでも、浅木さんは当時から『今はとにかくこの領域に集中しろ。まずはこの領域をものにするんだ』と絞り込むのです。その決断力はすごかったですね」
ただ、決断しても徹底されなければ、エンジニアは結局、いろいろなことをやり始めると田岸は語る。
「たとえば、出力は出さなければならないけれど、安定して安全に走らせなければならないという、両立するのが難しい問題があったとします。担当者としては、当然のことながら両方成立させなければならないと思うわけです。でも、浅木さんは『つべこべ言わずまず出力を出せ。出力を出してからほかのことを考えろ』と言います。そう言われると、こちらはとにかくこれに集中すればいいと思えるのです」
浅木の言った通りにやると、うまくいくことが多いのだという。その積み重ねによって浅木の決断を信頼し、より動きやすくなるそうだ。
「言葉が乱暴になることがあるのですが、そういう言葉の飾りを取っていくと、芯を突いているのです。本人が言うように、経験からの勘で言っているのか、あらゆるところから情報を集めて自分なりに分析した結果なのか、本当のところはわからないですが」
「物分かりの悪いジジイ」と設計部門の衝突
浅木が本格的に開発に関わることになったのは2018年。しかし、最初からチームが一枚岩になっていたわけではなかった。
トロロッソのみにパワーユニットを供給していた当時から、浅木は親会社のレッドブルとの契約を目指し、そこに有効と思われる手立てを打っていくことを意識していた。そのために、トロロッソからホンダがどのように見えているのか、という事に気を配る必要があった。
一方で、よりレースに近い現場では、日々、数々のトラブルが起こる。それに対して最短時間での対応を目指している。微妙な目線のずれから、浅木との間で度々すれ違いが起こった。
特に設計部門との軋轢は大きかった。
後藤哲男は「何故こんなにも細かいことにまで口を出すのか。現代のF1に関しては素人なのに何故こんなにも持論を展開するのか。ひとつひとつ浅木の判断を仰いでいたら何も決められなくなってしまうのではないか」と疑念を持ち、「正直、大変な人間がトップになってしまった」とさえ思った。
丸山聖はシーズン前のウインターテストで浅木と衝突した。
「F1の総責任者に就任したばかりの浅木さんが、初めてサーキットに来たときに、パワーユニットが故障してしまいました。私はすぐにトラブルに対処しようと、動き出しました。でも、浅木さんはそんなのお構いなしに『こういうことはできないのか? ああいうことはできないのか? トロロッソにはこういう風に見えるようにしろ。こういう部分は見せるな』と指示を出すのです。テストの時間は限られています。私も故障が起こってピリピリしており『何をばかな事言っているんですか。そんな事やってられません』と言い返し、そこから言い合いになってしまいました」
原田真智子も後藤や丸山と同じ感情を抱いた。
「最初のころ度々、分科会で言い合いました。『なんだ、この物わかりの悪いジジイは』と思って、睨みつけていた記憶があります」
少なくともこの設計の3名は“反浅木”だった。