公明党が票数を闇雲に増やさない理由
近年、先進国では多くの宗教が信者数の減少に悩んでいる。日本でも、伝統宗教も含めて伸びているのは真如苑だけだ。かといって、会員でない候補者を増やすとか、公明党を解党して大きな党に合流するとなると、新進党に合流して小沢一郎氏に引っかき回された苦い思い出がフラッシュバックする。国民民主党や維新の党が内紛と離合集散を繰り返しているのをみれば、同じ轍を踏みたくないとなるのも当然だ。
だから、公明党は一時の空気で票数を増やそうとせず、控えめに行動して、大臣のポストも一人だけで我慢し、党内人事でも政策でも内部対立になるもめ事は起こさないことに徹している。
もっと候補者をたくさん立てたら議席は増えるだろうが、創価学会会員の負担が重くなるのでしない。国会議席数の定数是正で、公明党が強い大都市の定数が増えるから、得票が減少しても議席は減らないという見通しもある。
「発信力」と「改革力」が課題に
日本の政治は21世紀になって小泉・安倍という強力で新自由主義的、保守的な傾向をもつ首相が出現した。そのときに、中道的で、かつ知性や科学、文化にも敬意を払う公明党が連立に加わっていることは、バランスとして好ましいものだったと評価できる。足して二で割るのでなく、互いにここは譲れないところを尊重し合っているのが、野党共闘の稚拙さと違うのだ。
しかし、この存在感が曲がり角にあると感じる点が2つある。
ひとつは発信力だ。創価学会も公明党も活字文化に抜群に強かった。二代会長の戸田城聖は出版社経営にも抜群の経営手腕をもっていたし、三代目の池田大作は卓越した文学者でもあった。しかし、ネットの世界で同様に強いかは疑問だ。組織内部での活用は平均以上のようだが、SNSの世界で存在感が大きいわけではないし、信者や支持者獲得にそれほど成果を上げているように見えない。
このことは、今後、ポスト池田の時代において、新たなカリスマ的な指導者を見いだせるのか、あるいは、集団指導体制をどのように構築するかについてのさまざまな議論ともかかわるし、それは、公明党との関係について、独立性をより進めるのかとか力関係がどうなるかともかかわる。