予算枠を守ることが至上命令になり、本末転倒が生まれる

だが、背広組は責任を取りたくない。最終的には「制服組がこれで大丈夫と言っています」と上司、更には政府に報告できるようにもっていきたい。だから、あくまで陸海空自衛隊の制服組による「自主的な判断」という形で落としどころを探るのだ。時代劇でいえば、悪代官がニヤリとしながら「越後屋、おぬしも悪よのう」と言うようなやり口だ。

昔は内局の官僚も、大蔵省の官僚も、戦争を経験した人がそれなりにいた。だから、軍隊の常識をある程度は踏まえた査定を行っていた。ところが、GNP比1%枠ができあがり、これを守ることが至上命令になると、軍隊の事情に理解を示すことも難しくなったのだ。

それならば、制服組が声を大にして弾薬の予算を求めればいいではないか、と思われるかもしれない。だが、それができない。そのからくりは、「防衛計画の大綱」という文書の中に隠されている。

1%枠と同じ年に生み出された、自衛隊の戦い方を定める大綱

防衛計画の大綱とは、装備品の取得や自衛隊の運用体制構築を中長期的見通しに立って行うため、防衛の基本方針、防衛力の役割、自衛隊の具体的な体制の目標水準を示すものだ。こんな説明では余計にわからなくなるかもしれないが、要は、自衛隊がどのように戦うか、どのような装備が必要かを決める文書だ。時代により異なるが最近では2010年、2013年、2018年に改定されており、頻繁に変わる文書になっている。

ちなみに、防衛計画の大綱が最初に策定されたのは、1976年のことだ。気づいた人もいるだろう。防衛費の対GNP比1%枠が閣議決定された同じ年に防衛計画の大綱も決定されたということになる。

自衛隊が発足した当初は「ゼロからのスタート」だったため、とにかく急いで必要な装備をそろえなければならなかった。しかも当時の日本は貧乏だったので、防衛費は対GNP比で1%をはるかに超えていた。米軍のお古の装備提供を含めた上での話である。

しかし、日本がだんだんと豊かになり、アメリカとソ連の冷戦対立も一時的に穏やかになった。そもそも、日本は二大超大国の一角を占めるソ連と同じような軍事力を持つことはできない。であるならば、防衛費に一定の歯止めが必要だという話になった。

防衛費を対GNP比1%に抑えるのはいいとして、制服組からは「それでは戦えない」という批判も反論も上がった。背広組の官僚が「いやいや、そんなことはない。これで大丈夫だ」という根拠を示そうとして作られたのが、1976年の防衛計画の大綱で示された「基盤的防衛力」という考え方だった。