「1%文化」を変えなければ防衛力強化はおぼつかない

社会保障費が2倍になったのだから、防衛費も2倍の約6兆円でないとおかしい、と言うつもりはない。だが、この20年間、防衛費はあまりにもひどい扱いを受けてきた。特に小泉純一郎内閣の2003年度から民主党政権が終わるまで、防衛費は減少を続けてきた。この間、日本は中国にGDPで追い抜かれ、防衛費では大きく水を開けられている。そもそも社会保障費と防衛費は別の次元で考えるべきだ。対GDP比2%に関する議論に社会保障費を持ち込むのはいかがなものか、とは思う。

とはいえ、後輩だから弁護するわけではないが、私には伊藤総監の気持ちもわからないではない。伊藤総監は記者会見で「大事なのは何が必要か、持たなければならないのか、積み上げること、地に足を着けたメンテナンスにも注目してほしい」とも発言したという。おそらく、彼は「金を投下するのであれば、目に見える戦闘機や軍艦だけじゃなく、後方支援もしっかり手当をしなければならない」と言いたかったのではないだろうか。自衛隊の現役リーダーとして当然の見識である。

これは私が現役時代に言わなければならないことだった。もちろん、内部では言っているのだが、なかなか聞いてもらえなかった。それはなぜか。防衛費が対GDP比1%に抑え込まれていただけではなく、これに伴う組織文化が大きく関係している。言ってみれば、悪いのは「防衛費1%枠」ではなく、「防衛費1%枠文化」と言ったほうが正確かもしれない。私の自衛官人生は、この文化との戦いだったと言っても過言ではない。

つまり、防衛費1%を打破して防衛費を対GDP比2%にしたとしても、「1%文化」を変えなければ防衛力強化はおぼつかない。カネさえ増やせば済むという問題ではないのだ。

自衛隊発足以来、防衛費は右肩上がりに増えていた

防衛費1%枠の歴史は、1976年11月5日までさかのぼる。時の三木武夫内閣はこの日の閣議で、防衛費は対国民総生産(GNP)比1%の枠内とする方針を決定した。当時はGDPではなく、GNPが一般的に使用されていたので、「GNP1%枠」となっていた。

それはともかく、なぜ、このような枠が必要だったのか。実は、1954年7月に自衛隊が発足して以降、防衛費は右肩上がりを続けてきた。そこで、三木内閣の前の田中角栄内閣が防衛費の歯止めとなる基準について検討を始め、後継の三木内閣で決定したのが防衛費1%だった。1986年には中曽根康弘内閣がGNP1%枠を撤廃し、実際に1%を超える(と言ってもほんの少しだけ超える)防衛費を計上してはいる。

しかし、その後も防衛費はおおむね1%以下で推移し、慣行としてGNP1%枠は生き残っている。

ここに、自衛隊の不幸な歴史の原因がある。