「なぜ日本の学校なんかを」という質問がつらかった
――「東大とハーバードに同時合格」という部分だけピックアップすればエリート然としていますが、複雑な青年期を過ごされていますね。
まだ戦争の記憶が残る広島県で暮らしていて、子どものころから微妙な立場でした。子ども同士の喧嘩でも、「原爆落としたくせに」とか言われるし、私が言い返すと、「わしのおじいさんが被爆したのに何を言うんじゃ」って泣き出す子もいました。
一方で、アメリカン・スクールの職員たちは日本と日本人を下に見ることを隠さなかった。でも「仮面ライダー」とかマンガ文化にどっぷりつかっていた私からすれば、反発しかないわけですよ。それでとうとう「スクール内で日本語は禁止」というお触れが出たのをきっかけに、地元の公立小学校に転校しました。
このあと、広島の私立中学校を受験するのですが、それを、ある種の先入観からくる紋切り型の質問を繰り返されて、つらかったですよ。
――どんな質問だったのでしょうか。
一番引っかかったのは、「なんでわざわざ日本で中学受験なんかしたのか」でした。
記者からみれば、熾烈な日本の受験競争に飛び込むアメリカ人はよほどの物好きに見えたのでしょう。「アメリカの学校はのびのび、日本は熾烈」という簡単な二元論のフレームワークの中で、「アメリカが上」という思い込みがある。
さらに言えば、「アメリカは多様性を容認、日本は画一的」「アメリカはのびのびとした教育、日本は詰め込み」「アメリカの教育は想像力を伸ばす、日本は歯車を作るだけ」といった単純な「アメリカにまだまだ追いつけない日本」も含まれていた気がします。
つまりその記者の中には「日本の教育はなっとらん、アメリカを見習え」みたいなアジェンダがあって、僕を利用して自分の思想をそこに書き込みたかったんでしょうね。そういうのはその記者だけに限らないんですけれど。
私立中学に入ったあと、父の仕事の都合でアメリカに戻ることになりました。ところが、1978年、僕が住んでいた地域で、公務員の給与カットされるということがあって。その影響で、公立高校の教師たちが一斉にストライキを起こしたんですね。数カ月間混乱が続いてとても勉強どころではなかった。
そこで両親を説得して、高校1年生の2学期からまた広島に戻りました。すると今度は、国の文化があまりにも違ったせいで、「みんなの勉強を邪魔して不純異性交遊をするヤツ」というレッテルを貼られてしまいました。
仕方がないので退学して、母親の地元、富山の高校に行くのですが、そこでも問題児扱い。当時のバンド仲間の間で、「不良が東大に受かったらおもしろいのでは」と盛り上がり、ノリで受験勉強を始めました。
普通に子どもとして生活していても、複雑な状況に巻き込まれてしまう。それに対してやや積極的に打ち返していった結果が、東大やハーバードの受験につながっていくわけです。複雑な環境の中で揉まれてストリートファイトを重ねていくうちに、強い子になっていったわけ。
それと伝えたかったのですが、ただこのツイート42連投には「後日談」があるんです。