100年前は言葉と行動が一致していた

ところが黄禍論のときは、新聞を読んで、ほんとだよなって村の人たちが思うと、「よし、棍棒を取ってジャップをやっつけに行く」って実際になるんですよ。現代は戦後教育で全体主義や優生主義はいかんというのをさんざん一般の日本人はしみ込まされているので、オンラインでは言うんですけど、たとえば辺野古で座り込みをしている高齢者の方のところに行って、「この、左翼にたぶらかされた老いぼれめ」って言う人はまずいないですよね。

昔だったらそれをやっていたんですよ。「叩き出せ」と言って、家からほんとに家財道具をね、「こういう民族は町から出ていけ」ってやっていたから、だいぶ違うんですよ。

だから原型は黄禍論のようなところにあって、そのモチーフや素材が使われているけれども、ほとんどの人たちは、いわゆるヘイトを面と向かって口にしたり、わざわざ行動を起こしたりするぐらいの気合いは入っていないんです。

撮影=プレジデントオンライン編集部
インタビューに応じるモーリー・ロバートソンさん

一線を越えるネット民たち

――「ヘイト」といえば、今年4月、京都府宇治市のウトロ地区で放火事件がありました。これは「ネットの声」が現実の行動になったケースではないでしょうか。

これは量的な問題だと思います。ネットユーザーが増えたことによって、裾野が広がっているということですね。

祭りも、規模が拡大して、一定のレベルを超えると、おみこしに飛び乗る輩が出てきたり、ただ喧嘩しに来たりする人たちが集まったりしますよね。

これと同じで、規模が拡大した結果、「本気でヘイトじゃないよ。言っているだけだから。みんなそれはわかっているよね」というネット世界のマナーの一線を越えて、本気で行動に移す人たちが出てくる。さらに、目立つからいいという、自己の承認欲求なんかも入ってくる。

アメリカの銃乱射事件では、(ネットの掲示板である)4チャンネルで犯行予告をしたり、乱射している模様を動画で配信したりしています。劇場型憎悪犯罪というのか……。

大衆に大量の情報を伝達する、いわゆる「マスコミュニケーション」が、ソーシャルメディアに広がった結果出てきた、2次的な現象ととらえることができるのではないでしょうか。(後編に続く)

(聞き手・構成=ノンフィクションライター・神田憲行)
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